今月の半ばで65歳の誕生日を迎えました。
小さな苺のショートケーキでお祝いです。🍓
お祝い事やイベントに興味がない私なので、これぐらいで十分です。
それでも何とか無事に65歳まで生きてこられたというのは、有難いことだなあという気持ちはあります。
実母は42歳で亡くなっているので、どうしても人生の運不運ということも思ってしまいます。
今年から新しい職場で新しい仕事をしていますが、これがなかなか、けっこう、すこぶる苦労しています。(笑)
ある程度苦労することは、予想通りといえばそれまでですが、何事もやってみないとわからないものですねー。
私ごときの経験や能力、スキルでそうそう簡単に通用するほど世の中甘くないと実感しております。
ただ、先月末から通い始めたパソコン教室はまずまず楽しいです。(^^♪
頭の体操にもなるし、優しいお姉さん先生?が親切に教えてくれるので、少しづつでもパソコン嫌いが克服されるといいな。
久しぶりに本を買って読みました。

お天道様は見てる 尾畠春夫のことば - 白石 あづさ

尾畠春夫 魂の生き方 - 尾畠春夫
2冊ともほぼほぼ内容は同じ。
私は 尾畠春夫さんみたいなボランティアをするつもりもないのですが、この人のぶれない生き方にはとても興味があります。
私自身がこれまでぶれっぱなしの生き方をしてきたので、こういうぶれない生き方に憧れがあるのだと思います。
私の友人、知人にも私から見てぶれない生き方をしていると感じる人がいますが、その人にとっては、そういう生き方が必然なのだとも感じます。
やりたいこと、やりたくないことがはっきりしている。
これと決めたことには寝食を忘れて没頭する。
リスクばかりを考えず、自分を信じることができる。
良くも悪くも能力に凸凹がある。
そんな人が自分の信じる道を突き進んだ結果がぶれない人であり、ある意味そういう生き方しかできなかったということかもしれません。
ただぶれない生き方は口で言うほど簡単ではなく、一歩間違うと(間違ってはいないでしょうが)とても生き辛い人生を送ることになる気もします。
なので多くの親は我が子にぶれない生き方より、社会に合わせた生き方を望み、子供自身も学校や社会でぶれない生き方の難しさを肌で感じて、所謂普通の生き方を選択するんでしょう。
そういう意味ではぶれない生き方もぶれる生き方も、好きでそうしたというより、その人にとってその生き方が必然だったということだと思います。
序に誤解を恐れずに言わせてもらうと、ぶれない生き方を選択した人は、やはりちょっと変わった人が多いというのが私の実感ですし、そこに魅力を感じて私は憧れるんだと思います。
私のことを言えば、これはもうとことんぶれっぱなしの人生を送ってきました。
若い頃には必死に自分探しをした時期もありましたが、最初から芯になるような自分がないわけで、いくら探しても本当の自分なんてものは見つからず、あっちにふらふらこっちにふらふら・・・。
そんな道草人生を送ってとうとう65歳を迎えたということです。
まあ自分には芯がないこと、人様より抜きんでた才能がないこと、一直線に突き進む信念も根気もないこと。
それが自分なんだという現実が、多少苦労しながらこれまでの人生で理解できたことだけでも、道草人生の甲斐があったというものです。(笑)
無いものねだりより自分の持っているもので精一杯頑張ることが何より大切。
生きるうえで「己を知る」ということは本当に大切なんですね。


