2014年09月07日

後ろ向きの自分

今日は蒸し暑い土曜日でした。
おまけに仕事。

明日は休日なのに天気が悪そうな気配。

なんだかな〜(=_=)

ここのところずっと、思考も感情も行動も、全てが後ろ向きの自分。

そんな気分にぴったりの言葉は無いかと探したら、いろいろありました。

お腹いっぱいご賞味ください<(_ _)>



人生は全て次の二つから成り立っている。したいけど、できない。できるけど、したくない。


「明日は、明日こそは」と、人はそれをなだめる。この「明日」が、彼を墓場に送り込むその日まで。


我々の一生の前半は親によって、後半は子供によって台無しにされる。


人生は、私たちが人生とは何かを知る前にもう半分過ぎている。


私は賢明に思慮をめぐらし、愚かに行動し、一生の日々を送った。


生きる理由はないが、また、死ぬ理由もない。
人生への軽蔑を示すべく、我々に残された唯一の方法は、
それを受け入れることである。
人生は、苦労して捨てるほどの価値もない。


我々は泣きながら生まれて、文句を言いながら生きて、失望しながら死ぬ。


人生にはただ三つの事件しかない。
生まれること、生きること、死ぬことである。
生まれるときは気がつかない。
死ぬときは苦しむ。
そして生きているときは忘れている


私の人生は、一度もリハーサルのチャンスをもらえなかった公演のようなものです。


人間の尊さは自分を苦しめるところにあるのさ。
満足はだれでも好むよ。けだものでもね。


どっちみち、この世に解決という奴が、有り得る筈がないではないか。……ひとつ解決できたとき、ひとつ謎がふえているにきまっているのだ。




う〜〜ん、なるほどと、先人の言葉に深くうなづくおやじ(+_+)



どうせ生きているからには、苦しいのは当たり前だと思え。


自分の考えたとおりに生きなければならない。
そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう。


われわれは現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。 過去はもう存在しないし、 未来はまだ存在していないのだから。


傷ついたのは、生きたからである。




わかっていても前向きに行動できないのは、知恵が足らないのか、我慢が足らないのか、生れついてのものなのか・・・

いずれにしても、自分自身の心の奥底から、今はじっと静かにそうしていたいという声が聞こえてくるのは間違いないようです。




          オイゲン・クロアサン

  けふつくづくと眺むれば
  悲(かなしみ)の色口にあり、
  たれもつらくはあたらぬを、
  なぜに心の悲しめる。

  秋風(あきかぜ)わたる青木立(あをこだち)
  葉なみふるひて地にしきぬ。
  きみが心のわかき夢
  秋の葉となり落ちにけむ。

           (上田敏『海潮音』より)
 




季節のうつろいを寂しく感じるようになったのはいつからだろうか・・・


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posted by おやじカウンセラー at 01:00 | 愛知 ☔ | Comment(1) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
我々は泣きながら生まれて、文句を言いながら生きて、失望しながら死ぬ…これは全くその通りで、思わず笑ってしまいました。この警句を参考にせめて、元気に生きている間は文句を言わない様に努めたいと思います。あ〜、でも私の場合、文句を言うより聞く方が多いかな?(笑)
Posted by 権兵衛 at 2014年09月11日 09:58
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