2019年03月12日
暗い場所と独りが好きなわけ
ずいぶん陽が長くなったと感じる今日この頃。
明るいのはいいことですが、実は暗いところも好きな私です。
夜、家族が寝静まるとリビングの照明を消し、風呂で湯船につかるときも灯りを消します。
なのに嫁は毎晩寝床でテレビをつけながら眠りにつくタイプ。
そんなことをしているから嫁はなかなか寝られないのです。
私は寝床に入れば5分で熟睡します。
先日は映画館で続けて2本の映画を観ました。
ひとつは年老いた男と家族愛の話。
もうひとつは黒人とイタリア系アメリカ人の人種を越えた友情の話。
どちらもお金を払って映画館で観るだけの価値がある映画でした。
映画館で映画を観るのとDVDを家で鑑賞するのは似て異なります。
大きなスクリーンと暗い館内。
誰も話しかけてこないし、余計な邪魔も入りません。
最近は映画を観る人のマナーも本当に良くなったしね。
家でDVDを観るよりも車の中で観るほうがまだ集中できます。
暗くて静かな場所で独りでいることが好きなのは、子宮回帰の本能なのか、脳が疲れているのか、昼間の活動と夜の休息のメリハリをつけたいのか・・・
暗い場所は不安を感じやすいという人もいますが、私の場合は心の安息を感じる方が大きいようです。
昔の喫茶店はどことなく薄暗い感じでしたが、最近はどこも明るすぎて落ち着きません。
できれば穴倉のようなお店で、蝋燭の灯りで静かに本が読めるような喫茶店はないものでしょうか。
そんなお店があれば、きっと常連になると思います。
私が暗い場所を求めるのは、もしかしたら気持ちのどこかで、いつも人の目を気にしているからかも知れませんね。
2019年03月06日
新しい環境に適応することと自分らしさ
春は卒業、進学、就職など、門出の季節です。
誰もが新しいスタートに期待と不安を胸に抱いていることでしょう。
環境が変われば人間関係も生活も大きく変化し、それに応じて自分自身も否応なしに変化することを求められます。
これを適応といいます。
環境の変化は様々で、適応能力も個人差が大きく、上手く適応できる人もいれば不適応を起こしてしまう人もいます。
さらには個人の限界を超えた過剰適応をしてしまう場合も、ある意味で不適応と言えるでしょう。
いつでもどこでも自然体で生きられるほど、世の中はゆとりも包容力もありません。
皆どこかしら無理をして自分を環境に合わせているのが現実です。
それが成長につながる場合も少なくないでしょう。
だからといって自分自身を見失うような過剰適応は、生きる意味まで失ってしまいます。
「がんばらなくてはいけない」だけでなく「たのしくなければいけない」も同様です。
過剰適応でも不適応でもない、適度な適応とはどういうものなのか・・・
その答えを知る近道は、自分を正しく知ることしかないように思います。
自然体で自分らしく生きることは簡単ではありません。
しかし、そもそも自分らしさや自然な自分がわかっていなければ、自分が進みたい道も見えてきません。
新しい環境にチャレンジすることは、自分自身をより深く知るチャンスなのかもしれませんね。
2019年03月02日
私と仲間
最近の週末休みは3週連続で花見に出かけている。
桜ではなく梅の花見なのだ
2月下旬の岩津天満宮の梅園はまだ蕾が多かったが、先週の王滝渓谷の梅は山歩きを兼ねて存分に満喫した。
そして今日は新城市の「川売の里」を訪れた。
はっきり言ってここは別格だった。
なにしろ山間の集落が丸ごと梅園になっていて、まさに現代の桃源郷なのだ。
梅園の中に集落があり、小さな出店では手作りの漬物や五平餅、味噌おでんなどを売っている。
もちろん私は大粒の梅干しを土産に買い求めたがこれがまた絶品!
変に甘口の梅ではなく、しっかりと酸味と塩辛さのある昔ながらの梅干しが私の好み🎵
奥三河方面はバイクツーリングやドライブで頻繁に出かけるが、本当に自然が素晴らしく風光明媚なところが多い。
広い梅園(ホントに広い)をのんびり歩いた後は少し離れた温泉に寄って、これまたのんびり湯に浸かり日頃の疲れを癒した。
それにしても最近・・・というか去年からずっと、本当によく遊んでいる。
先日は小学校からのながーい付き合いの友人と,久しぶりにゆっくりお茶を飲んだ。
といっても喫茶店ではなく近くの河原にジムニーで出かけて、ガソリンバーナーでお湯を沸かしてちょっとしたプチキャンプ気分。
そしてなぜだか一心不乱に石ころを積み上げている友人(笑)
ここ最近は昔よく遊んだ友人や仲間たちと、また少しずつ顔を合わす機会が増えてきている。
もう鬼籍に入ってしまった友人もいるがお互いが元気なうちにいろんな話をしておきたいと思う。
古い友人、新しい友人、仕事仲間、遊び仲間、勉強仲間・・・。
私の人生は友人や仲間に恵まれているなあ・・・。
本当に心からそう思う。