2016年12月31日
ジムニー脱出大作戦!
昨夜はつい夜更かしをしてしまい寝不足のせいか、今朝は体が重く感じ(実際に重いけど)起きてからもなかなか行動が出来ませんでした。
珈琲を2杯飲んで、ようやく部屋の片づけに取り掛かろうとすると、キャンプに出かけていた長男からラインが入りました。
緊急出動の要請です!
友人とキャンプ帰りに近くの河原で遊んでいたら、ジムニーがスタックしてしまったようです。
連休初日から面倒なことに・・・( `ー´)ノ
と思いながらもほっておくわけにもいかず、単車にスコップとけん引ロープを積み込んで現場に直行しました。
到着すると長男と友人がぼんやり車の前で佇んでいました。
見てみると、えぐれた下り坂でカメ状態(フレームが路面に乗り上げてタイヤが空転している状態)になっていました。
四駆といえどもホイールベースが短く、サスペンションのストロークもそれほど長くないジムニーではよくあることです。
長男にスコップを渡し、乗り上げている部分の土を掘らせましたが、脱出はなかなか上手くいきません。
それにしても、長男も友人もスコップの使い方がなっていませんねー。
保育園児の砂場遊びじゃないんだから、もっと腰を入れてガンガン掘らないと!
ホントに今どきの若者はなっちゃいません(-_-)
年末最後なのに、またまたオヤジのボヤキが出ちゃいましたよ。
ともかく、いつまでもこうしていては日が暮れてしまうので、やむなく私の友人であるUくんにレスキューを依頼しました。
大手自動車メーカーで開発業務を担当している彼は、車やバイクが大好きで、セカンドカーとしてジムニーJA22を所有しているのです。
せっかくの休日に申し訳ないと思いましたが、連絡したところ二つ返事で助けに来てくれました。
やっぱり持つべきものは友達ですねヽ(^o^)丿
早速けん引ロープを取り付けて引っ張ってもらうと、あっけなく脱出完了。
長男とUくんは昨年暮れに焚き火キャンプを一緒にして顔見知りなので、何やら話が弾んでいました。
お礼はまた改めてさせてもらうことにして、今日のところはそのまま解散。
Uくん本当にありがとう<(_ _)>
まあ長男には良い経験になったでしょう。
単車で自宅に戻ってからもしばらくは何もやる気が起きませんでしたが、この調子ではグダグダの年末年始になりそうだったので、気力を振り絞って部屋の片づけに取り掛かりました。
手を付けだすととついつい本格的にやりたくなりますが、恐ろしく手間がかかりそうなので今回は相当大雑把に済ませました。
それでも何とか片付け終了です。
気がつくともう夕方になっており、今日の活動はこれにて終了。
明日からは予定通りもう少し活発に休みを過ごそうと思いますが、そのためには早く寝ないとね。
今年ももう大晦日を残すだけとなりましたが、何か特別なことをやるよりもなるべく日常の生活で過ごすつもりです。
ただ、今年の振り返りと来年の抱負は、明日のうちに考えておこうと思います。
明日も頑張ってブログを更新します。
では皆さんも、平成28年12月31日を悔いの無いようにお過ごしくださいヽ(^o^)丿
2016年12月30日
年末年始は読書三昧だー
今年の春から県外で生活している長男が、昨日から連休で帰ってきました。
今日はさっそく友人と、冬のキャンプに出かけて行きました。
次男も今日から連休ですが、明日は仲間と初めてのスノーボードにチャレンジだそうです。
親としては、ガンガン仕事してどんどん遊べーと思っています。
さて、私も明日から年末年始の休みに入ります。
仕事も何とかキリがついたので、安心して休日を過ごせそうです。
連休中は特別な予定は何もなく、とりあえず明日は部屋の掃除をします。
自分の部屋はほとんど物置と化しているので、この機会に不要なものを処分して、本や資料や遊び用のガラクタ類を片付けてスッキリさせます。
あとは毎日少しでも運動をすることに決めています。
寒くても身体を動かすと気分が良いし、連休中はどうしても食べたり飲んだりが増えるので、その分のカロリーを消費しないとねー(*_*;
映画も観に行きたいけど、この年末年始は個人的に観たい映画があまりないなあ。
そう思って本を何冊か買っておいたので、自宅で、そしてアウトドアで、ちょっと集中して読書をするつもりです。
バイクで山に出かけて静かなところで本を読むなんて良さそうだけど、きっと寒いよねー(*_*)
とにかくブログも頑張って更新するので、応援よろしくお願いします。<(_ _)>
今日はさっそく友人と、冬のキャンプに出かけて行きました。
次男も今日から連休ですが、明日は仲間と初めてのスノーボードにチャレンジだそうです。
親としては、ガンガン仕事してどんどん遊べーと思っています。
さて、私も明日から年末年始の休みに入ります。
仕事も何とかキリがついたので、安心して休日を過ごせそうです。
連休中は特別な予定は何もなく、とりあえず明日は部屋の掃除をします。
自分の部屋はほとんど物置と化しているので、この機会に不要なものを処分して、本や資料や遊び用のガラクタ類を片付けてスッキリさせます。
あとは毎日少しでも運動をすることに決めています。
寒くても身体を動かすと気分が良いし、連休中はどうしても食べたり飲んだりが増えるので、その分のカロリーを消費しないとねー(*_*;
映画も観に行きたいけど、この年末年始は個人的に観たい映画があまりないなあ。
そう思って本を何冊か買っておいたので、自宅で、そしてアウトドアで、ちょっと集中して読書をするつもりです。
バイクで山に出かけて静かなところで本を読むなんて良さそうだけど、きっと寒いよねー(*_*)
とにかくブログも頑張って更新するので、応援よろしくお願いします。<(_ _)>
2016年12月29日
心の役割
おはようございます<(_ _)>
今日は仕事納めで、明日から連休に入ります。
やることはきっちり済ませて、気分良く新年を迎えたいと思います。
辛い、疲れた、つまらない、腹が立つ、晴れ晴れしない・・・
せっかくこうして生きているのにって思います。
幸せも不幸せも自分で選択するもの。
変えられない運命もありますが、自分で変えられるものまで運命だと思い込んでいるのは、本当にもったいない話です。
学んで知恵をつけることは大切です。
我慢することも鍛えることも大切です。
でも一番大切なのは自分を信じる心なのかもしれませんね。
そこが揺らいでいると、どれだけ頑張ってもなかなか上手くいかないものです。
もっと自分の心に素直に、幸せに生きればよかった・・・
そんな後悔はしたくないからね。
もうすぐ今年も終わりですが、来年こそはではなく今日からはという気持ちで、今日から頑張りましょう!
今日は仕事納めで、明日から連休に入ります。
やることはきっちり済ませて、気分良く新年を迎えたいと思います。
辛い、疲れた、つまらない、腹が立つ、晴れ晴れしない・・・
せっかくこうして生きているのにって思います。
幸せも不幸せも自分で選択するもの。
変えられない運命もありますが、自分で変えられるものまで運命だと思い込んでいるのは、本当にもったいない話です。
学んで知恵をつけることは大切です。
我慢することも鍛えることも大切です。
でも一番大切なのは自分を信じる心なのかもしれませんね。
そこが揺らいでいると、どれだけ頑張ってもなかなか上手くいかないものです。
もっと自分の心に素直に、幸せに生きればよかった・・・
そんな後悔はしたくないからね。
もうすぐ今年も終わりですが、来年こそはではなく今日からはという気持ちで、今日から頑張りましょう!
2016年12月28日
そんなに怒ってどうするの?
そろそろ年末年始の連休が始まった方もいらっしゃるでしょうね。
私は明日が仕事納めとなりますが、気になる仕事も残っているので、まだまだ「さあ連休だー(^O^)/」という気分ではありません。
休みになったらアウトドアでゆっくりとコーヒーでも飲みたいところですが、ちょっとでも気がかりなことがあると、心からのんびりとはできない性分なのです。
さて、今夜はすぐに怒る人の事を書きます。
最初に言っておきますが、今回の記事は私の超個人的な意見なので、科学的な根拠などに基づいた話ではありません。
そして今から書く「すぐ怒る人」というのは、大した理由がないのにすぐ大きな声を出したり、感情的になって怒る人の事であり、怒るべき理由があったり相手のために叱る人の事ではありません。
そこんとこ( `・∀・´)ノヨロシク
早速ですが、たまにいますよねー、すぐに怒る人。
もちろん私は普段からあまり怒りませんよ。
だって怒った後はものすごーく嫌な気分になるから。
しかもしばらくは嫌ーな気分が続きます。
ずーっとずーっと続きます"(-""-)"
すぐ怒る人は、嫌な気分にならないのでしょうか?
怒ると気分がすっきりするのでしょうか?
私にはすぐに怒る人の気持ちがどうしても理解できません(カウンセラーなのにね(^^;)
性格は自己防衛や闘争本能の表れと言いますが、怒ることで我が身を守っているということ?
まあ理屈はわからなくもないけど、はっきり言って大迷惑です。
そもそもすぐに怒る人は人の話を聞きません!
人の話にちゃんと耳を傾ける人で、怒りっぽい人を見たことがないです。
それにすぐ怒ると言っても、しっかり相手を選んでいて、相手かまわず怒るわけではありません。
抵抗しない人、人の良さそうな人、優しい人、気が弱そうな人・・・
すぐ怒る人は、そういう相手を選ぶ能力に長けています。
気が弱く優しい人は、自分が大人しく怒られることで平和が保たれるのなら多少の理不尽は我慢しようと思ってしまうので、バカ(怒る人)の格好の餌食なのです。
私も基本的には平和と安定を最優先にするタイプです。
子供の頃の通知表には、必ず「温厚である」と書かれていたほどですからね。
もっとも大人になってからは、かなり強面の見た目になってしまったので、そうそう怒る人の餌食になることはありません。
それでもごく稀に(15年に一回ぐらい?)とてつもないバカ(意味もなく怒る人)がうっかり噛みついてくることがありますが、そういう時はバッサリと返り討ちにします。
どうやって返り討ちにするかは、誰にでもできる方法ではないし、あまりお勧めできるようなことではないのでここには書きませんが、どうしても知りたい人は、機会があれば直接聞いて下さい。
もちろん私もカウンセラーのはしくれですから、すぐに怒る性格のことで悩んでいる本人がカウンセリングに来たとしたら、一生懸命に話を聴き相手の立場に立って共感的理解するように努力します。
しかしそういう人はまず相談に来ることはないでしょうね。
なにしろ相手の立場でものを考えることができないので、怒る本人はちっとも困らないのですから。
悲しいかなこの世の中は、正直で良い人で優しい人だけでは、必ずしも幸せになれるとは限りません。
現実というのは理不尽で厳しいものなのです。
強さや知恵を持たず、ただ優しいだけ正直なだけ良い人なだけでは、幸せになれない現実もあります。
「嫌われる勇気」という本が多くの人に読まれているようです。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え -
私は読んだことがないので、内容についてあれこれ言うことは出来ませんが、たぶんこの本を手に取るような人は、そもそも嫌われる必要など無い人だと思います。
意味もなく(本人には意味があるのでしょうが)すぐに怒り、その感情を他人にぶつけることに躊躇しないような人も、そうならざるを得ない理由があるのでしょう。
それでもあえて言わせてもらいます。
カウンセリングの場や、理不尽に怒られるのが好きならともかく、そうでないならそんなバカ(すぐに怒る人)に付き合う必要は全くありません。
カウンセリングの勉強だと割り切れるならともかく、耐え難いような我慢をして自分を傷つけてまで、理不尽な怒りを好き勝手にぶつけてくるようなバカを、我慢して理解しようと努力する必要はこれっぽっちもありません。
私はそう思います。
以上でおやじカウンセラーの独断と偏見に満ちたお話を終わります。
私は明日が仕事納めとなりますが、気になる仕事も残っているので、まだまだ「さあ連休だー(^O^)/」という気分ではありません。
休みになったらアウトドアでゆっくりとコーヒーでも飲みたいところですが、ちょっとでも気がかりなことがあると、心からのんびりとはできない性分なのです。
さて、今夜はすぐに怒る人の事を書きます。
最初に言っておきますが、今回の記事は私の超個人的な意見なので、科学的な根拠などに基づいた話ではありません。
そして今から書く「すぐ怒る人」というのは、大した理由がないのにすぐ大きな声を出したり、感情的になって怒る人の事であり、怒るべき理由があったり相手のために叱る人の事ではありません。
そこんとこ( `・∀・´)ノヨロシク
早速ですが、たまにいますよねー、すぐに怒る人。
もちろん私は普段からあまり怒りませんよ。
だって怒った後はものすごーく嫌な気分になるから。
しかもしばらくは嫌ーな気分が続きます。
ずーっとずーっと続きます"(-""-)"
すぐ怒る人は、嫌な気分にならないのでしょうか?
怒ると気分がすっきりするのでしょうか?
私にはすぐに怒る人の気持ちがどうしても理解できません(カウンセラーなのにね(^^;)
性格は自己防衛や闘争本能の表れと言いますが、怒ることで我が身を守っているということ?
まあ理屈はわからなくもないけど、はっきり言って大迷惑です。
そもそもすぐに怒る人は人の話を聞きません!
人の話にちゃんと耳を傾ける人で、怒りっぽい人を見たことがないです。
それにすぐ怒ると言っても、しっかり相手を選んでいて、相手かまわず怒るわけではありません。
抵抗しない人、人の良さそうな人、優しい人、気が弱そうな人・・・
すぐ怒る人は、そういう相手を選ぶ能力に長けています。
気が弱く優しい人は、自分が大人しく怒られることで平和が保たれるのなら多少の理不尽は我慢しようと思ってしまうので、バカ(怒る人)の格好の餌食なのです。
私も基本的には平和と安定を最優先にするタイプです。
子供の頃の通知表には、必ず「温厚である」と書かれていたほどですからね。
もっとも大人になってからは、かなり強面の見た目になってしまったので、そうそう怒る人の餌食になることはありません。
それでもごく稀に(15年に一回ぐらい?)とてつもないバカ(意味もなく怒る人)がうっかり噛みついてくることがありますが、そういう時はバッサリと返り討ちにします。
どうやって返り討ちにするかは、誰にでもできる方法ではないし、あまりお勧めできるようなことではないのでここには書きませんが、どうしても知りたい人は、機会があれば直接聞いて下さい。
もちろん私もカウンセラーのはしくれですから、すぐに怒る性格のことで悩んでいる本人がカウンセリングに来たとしたら、一生懸命に話を聴き相手の立場に立って共感的理解するように努力します。
しかしそういう人はまず相談に来ることはないでしょうね。
なにしろ相手の立場でものを考えることができないので、怒る本人はちっとも困らないのですから。
悲しいかなこの世の中は、正直で良い人で優しい人だけでは、必ずしも幸せになれるとは限りません。
現実というのは理不尽で厳しいものなのです。
強さや知恵を持たず、ただ優しいだけ正直なだけ良い人なだけでは、幸せになれない現実もあります。
「嫌われる勇気」という本が多くの人に読まれているようです。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え -
私は読んだことがないので、内容についてあれこれ言うことは出来ませんが、たぶんこの本を手に取るような人は、そもそも嫌われる必要など無い人だと思います。
意味もなく(本人には意味があるのでしょうが)すぐに怒り、その感情を他人にぶつけることに躊躇しないような人も、そうならざるを得ない理由があるのでしょう。
それでもあえて言わせてもらいます。
カウンセリングの場や、理不尽に怒られるのが好きならともかく、そうでないならそんなバカ(すぐに怒る人)に付き合う必要は全くありません。
カウンセリングの勉強だと割り切れるならともかく、耐え難いような我慢をして自分を傷つけてまで、理不尽な怒りを好き勝手にぶつけてくるようなバカを、我慢して理解しようと努力する必要はこれっぽっちもありません。
私はそう思います。
以上でおやじカウンセラーの独断と偏見に満ちたお話を終わります。
2016年12月27日
人生の行き止まり
「この先行き止まり」の看板。
人生でも「進んだ先が行き止まり」ってことがありますよね。
今更後戻りはできないからって、なんとかなるだろうと進んで行くと、どんどん道は険しく細くなって、やっぱり行き止まり。
そして途方に暮れる・・・(*_*)
本当は看板があったのに気づいていたんだけどね。
「あの時、まだ少しは余力があるときに戻っておけばなあ」って思っても後の祭り。
でも、行き止まりを無理やり突破すると道が拓けることもあるかもね。
これもダメ、あれもダメだと思って後戻りばかり繰り返しても、結局何処にもたどり着けないなら、あえて行き止まりを突き進むのも人生。
どっちにしても、自分で決めた道なら諦めもつくってもんだね。
部屋が乾燥しているせいか、なんだか無性にスイカが食べたいなあ・・・
今夜はこのへんで。
明日は「怒り」についての記事を書きます。
人生でも「進んだ先が行き止まり」ってことがありますよね。
今更後戻りはできないからって、なんとかなるだろうと進んで行くと、どんどん道は険しく細くなって、やっぱり行き止まり。
そして途方に暮れる・・・(*_*)
本当は看板があったのに気づいていたんだけどね。
「あの時、まだ少しは余力があるときに戻っておけばなあ」って思っても後の祭り。
でも、行き止まりを無理やり突破すると道が拓けることもあるかもね。
これもダメ、あれもダメだと思って後戻りばかり繰り返しても、結局何処にもたどり着けないなら、あえて行き止まりを突き進むのも人生。
どっちにしても、自分で決めた道なら諦めもつくってもんだね。
部屋が乾燥しているせいか、なんだか無性にスイカが食べたいなあ・・・
今夜はこのへんで。
明日は「怒り」についての記事を書きます。
2016年12月25日
空気を読めない人の苦悩
おはようございます<(_ _)>
今朝も冬晴れの良い天気ですねー
そろそろ年末の大掃除を始める方もいらっしゃると思います。
私は昨日も、そして明日からもまだまだ仕事の追い込みで忙しいので、今日はのんびり疲れを癒します。
さて、前回のブログでは「空気を読む人の功罪」と題して、主に私自身の事を書きました。
今回は「空気を読めない人」について書きますが、その前に二つのことを言っておきます。
一つ目は「空気を読めない」と「空気を読まない」のどちらが正しいかということですが、「空気を読む読まない」を本人の意思で自在にコントロールできるのなら、それほど困らないわけです。
私が「必要以上に空気を読んでしまう」ことを止められなくて悩んでいるように、「空気を読むことが上手くできない」ことで苦労している人の事を書こうと思うので、ここは「空気を読めない」とさせてもらいます。
二つめは、こういう話題を書くとすぐにアスペルガーと結びつける人がいますが、それはあまりに乱暴でとんでもない話です。
「空気を読めない」=「アスペルガー症候群」と決めつけるのは間違っています。
カウンセリングを学んでいても、精神医学の知識をほとんど持たないままの人がいますが、そういう方はこんなブログを読む暇があったらもっと勉強して下さい。
ここからようやく本題ですが、正直に言って「嫌でも空気を読んでしまう」私は、そのことで悩むことも多いのですが、社会生活(特に集団や組織)をおくるうえでプラスになることも少なくありません。
なので「空気を読めない人」の苦労や苦悩がわかるかといえば、ある程度の想像は出来ますが実感としてはよくわからないのが本当のところです。
しかし前回の記事でも書きましたが、日本の社会(特に組織や集団)では、明に暗に「空気を読むこと」を要求されることは確かです。
直接の仕事能力とは関係なく「あいつは空気が読めないヤツ」だとか「もっと空気読めよ」などと言われるのは、あまりに理不尽な話です。
実際は「空気が読めない」と実感している時点で、多少なりとも自分を客観視できているわけですから、てう気が読めないというのも程度の問題なのだと思います。
私はこれまで多くの人と公私にわたる付き合いがありましたが、本当にまったく全然「空気が読めない人」には、一度も出合ったことはありませんから。
そして「空気が読めない」タイプの人の多くに大して、私が感じる共通の認識があります。
それは・・・
空気が読めないタイプの人は集中力が高い人が多い
なぜだかこれは本当にそうなんです。
考えてみると「空気を読む」ということは、それだけ周囲に気を配って気にしているということなんですね。
私なんかまさにその通りで、会議なんかでも自分で意見を言いながら回りの反応を伺っていて、その反応次第で話し方や内容を変えたりします。
悪く言えば、いつも「いろんなところに気が散っている」状態なわけです。
周りへの対応は上手でも、何か一つの事に没頭するとか集中することが非常に苦手なのです。
「空気が読めない」というのは、何かを始めると周りが見え難くなるとか、つい自分の世界に入り込んでしまうというのがあると思います。
そしてそういうタイプの人はいろんな意味で「自分の世界」というものを持っていて、それに没頭してこそ本来の持っているチカラや能力を発揮できるんじゃないかなあ。
事実、私の知人友人で一芸に秀でた人は、例外なくこのタイプですね。
以前のブログにも書きましたが、私の40数年来の親友である児童文学作家の阿部夏丸さんなどは、典型的なこのタイプでした。(昔は本当に「我が道」を行っていましたから(^^;)
☆阿部夏丸さんの著書のほんの一部です🎵
他にも何人も思い浮かぶ人がいますが、それぞれに自分の得意分野を持つ人ばかりです。
場の空気を読むことも読めないことも、おそらく本人の生まれつき性格と、その後の生育環境に要因があるのでしょうが、大人になってからそれを完全に変えることは難しいと思います。
空気を読む人には過剰適応してしまうことへの苦悩があり、逆に読めないタイプの人には周囲との軋轢や理解してもらえないことへの悩みがあるのです。
大切なのはそうした自分の特徴をしっかり自覚したうえで、変えられる部分は変える努力をして、変えられないものは素直に受け入れること。
そのうえで、短所ばかりに目を向けずに、長所をしっかり捉えて自己を成長させることなのだと思います。
なんだか最初に書こうと思っていた内容とは変わってしまいました。
人間はいくつになっても、どれだけ経験を積んでも、自分に対して心の底からの自信なんてなかなか持てないものですね。
少なくても私はそうです。
でも最近は少しだけ考えが変わってきました。
これまでの人生でそれなりに頑張って苦労もしてきたんだから・・
ダメなところや気に入らないところもたくさんあったけど、そんな自分でこれまでやってきたんだから・・・
もうそろそろ自分虐めはやめて、仲良く最後までやっていこうよ
そう思っています。
今朝も冬晴れの良い天気ですねー
そろそろ年末の大掃除を始める方もいらっしゃると思います。
私は昨日も、そして明日からもまだまだ仕事の追い込みで忙しいので、今日はのんびり疲れを癒します。
さて、前回のブログでは「空気を読む人の功罪」と題して、主に私自身の事を書きました。
今回は「空気を読めない人」について書きますが、その前に二つのことを言っておきます。
一つ目は「空気を読めない」と「空気を読まない」のどちらが正しいかということですが、「空気を読む読まない」を本人の意思で自在にコントロールできるのなら、それほど困らないわけです。
私が「必要以上に空気を読んでしまう」ことを止められなくて悩んでいるように、「空気を読むことが上手くできない」ことで苦労している人の事を書こうと思うので、ここは「空気を読めない」とさせてもらいます。
二つめは、こういう話題を書くとすぐにアスペルガーと結びつける人がいますが、それはあまりに乱暴でとんでもない話です。
「空気を読めない」=「アスペルガー症候群」と決めつけるのは間違っています。
カウンセリングを学んでいても、精神医学の知識をほとんど持たないままの人がいますが、そういう方はこんなブログを読む暇があったらもっと勉強して下さい。
ここからようやく本題ですが、正直に言って「嫌でも空気を読んでしまう」私は、そのことで悩むことも多いのですが、社会生活(特に集団や組織)をおくるうえでプラスになることも少なくありません。
なので「空気を読めない人」の苦労や苦悩がわかるかといえば、ある程度の想像は出来ますが実感としてはよくわからないのが本当のところです。
しかし前回の記事でも書きましたが、日本の社会(特に組織や集団)では、明に暗に「空気を読むこと」を要求されることは確かです。
直接の仕事能力とは関係なく「あいつは空気が読めないヤツ」だとか「もっと空気読めよ」などと言われるのは、あまりに理不尽な話です。
実際は「空気が読めない」と実感している時点で、多少なりとも自分を客観視できているわけですから、てう気が読めないというのも程度の問題なのだと思います。
私はこれまで多くの人と公私にわたる付き合いがありましたが、本当にまったく全然「空気が読めない人」には、一度も出合ったことはありませんから。
そして「空気が読めない」タイプの人の多くに大して、私が感じる共通の認識があります。
それは・・・
空気が読めないタイプの人は集中力が高い人が多い
なぜだかこれは本当にそうなんです。
考えてみると「空気を読む」ということは、それだけ周囲に気を配って気にしているということなんですね。
私なんかまさにその通りで、会議なんかでも自分で意見を言いながら回りの反応を伺っていて、その反応次第で話し方や内容を変えたりします。
悪く言えば、いつも「いろんなところに気が散っている」状態なわけです。
周りへの対応は上手でも、何か一つの事に没頭するとか集中することが非常に苦手なのです。
「空気が読めない」というのは、何かを始めると周りが見え難くなるとか、つい自分の世界に入り込んでしまうというのがあると思います。
そしてそういうタイプの人はいろんな意味で「自分の世界」というものを持っていて、それに没頭してこそ本来の持っているチカラや能力を発揮できるんじゃないかなあ。
事実、私の知人友人で一芸に秀でた人は、例外なくこのタイプですね。
以前のブログにも書きましたが、私の40数年来の親友である児童文学作家の阿部夏丸さんなどは、典型的なこのタイプでした。(昔は本当に「我が道」を行っていましたから(^^;)
☆阿部夏丸さんの著書のほんの一部です🎵
他にも何人も思い浮かぶ人がいますが、それぞれに自分の得意分野を持つ人ばかりです。
場の空気を読むことも読めないことも、おそらく本人の生まれつき性格と、その後の生育環境に要因があるのでしょうが、大人になってからそれを完全に変えることは難しいと思います。
空気を読む人には過剰適応してしまうことへの苦悩があり、逆に読めないタイプの人には周囲との軋轢や理解してもらえないことへの悩みがあるのです。
大切なのはそうした自分の特徴をしっかり自覚したうえで、変えられる部分は変える努力をして、変えられないものは素直に受け入れること。
そのうえで、短所ばかりに目を向けずに、長所をしっかり捉えて自己を成長させることなのだと思います。
なんだか最初に書こうと思っていた内容とは変わってしまいました。
人間はいくつになっても、どれだけ経験を積んでも、自分に対して心の底からの自信なんてなかなか持てないものですね。
少なくても私はそうです。
でも最近は少しだけ考えが変わってきました。
これまでの人生でそれなりに頑張って苦労もしてきたんだから・・
ダメなところや気に入らないところもたくさんあったけど、そんな自分でこれまでやってきたんだから・・・
もうそろそろ自分虐めはやめて、仲良く最後までやっていこうよ
そう思っています。
2016年12月24日
空気を読む人の功罪
昨日はいつもより早く起きて着替えを済ますと、顔もろくに洗わずに原付に乗ってJR安城駅へGO!
県外にいる長男が金曜日から3連休なので、とりあえずの足にするため駅の駐輪場に原付を置いてきました。
ちなみに私は、今日(土曜日)も仕事です。(*_*)
で、今朝は出社前にこうしてブログの更新をしています。
早速ですが、私は割と空気を読むタイプです。
いや、割とどころかガンガンに読みます!読みまくります!
読んでばかりで吸うのを忘れて、たまに気がつくと息苦しくなるほど・・・。
空気を読むというのは、つまり場の雰囲気や相手の態度などから状況を察し、それを汲み取った行動をすることだと思いますが、一般的にはコミュニケーション能力として必要なこととされています。
しかし、これも程度の問題で、あまりにそうした行動が過ぎると
「計算高い人」「立ち回りが上手くて腹黒い人」
などといわれることもあります。
ただ、空気を読みまくるタイプの私から言わせてもらうと、別に意識して読んでるわけでもないんです。
いちいち考えながら空気を読んでいるような人は、まあ実際には大して場の空気を読めない人だと思います。
本当に空気を読める人、それが心底身についてしまった人は、
瞬時に読む!いつも読む!考える前に読む!息を吸うように読む!
ブルース・リーの言葉「考えるな感じるんだ」に匹敵するほど。
尚且つ
空気を読むことを自分ではやめられない(>_<)
これまた「やめられないとまらない」のかっぱえびせんに匹敵です。
とにかくそんな感じなのですよ、少なくとも私はそう。
もちろん常に100%読み切れるわけではないけどね。
でもね、これは正直言って疲れます。
だいたい本来は吸うべきものである空気を読んでばかりいるのですから、先程書いたように息苦しくもなりますよ。
まさに酸欠状態(*_*;
おまけに私のようなタイプは、ついつい周囲の人にも空気を読むことを(言葉や態度で)要求してしまうので、その度が過ぎると周りも息苦しくなるのです。
日本人はどの外国人と比べても、空気を読むことに長けている民族だと言われています。
島国であること、単一民族であること(しかし厳密には違います)、農耕民族であること、などがその理由と言われていますが、そうした空気を読む風習というか習慣は、特に現代のサラリーマンにしっかりと受け継がれているんですね。
組織の潤滑剤とかムードメーカーなどといわれるような人は、おそらく上手に空気が読めるタイプの人なのでしょうが、あまりにそんなことばかりしていると、自分自身というものをどんどん失ってしまいます。
自己主張が出来なくなり、その場の状況や相手の態度、感情に合わせた対応しかできなくなるのです。
これはなかなか辛くて苦しいものです。
そんな時、いわゆる空気を読めない人の自由奔放な態度(空気を読む人からはそう見える)を目の当たりにすると・・・
イライラします!頭にきます!もっと空気読めよ!と思います(場合によっては実際に言います)。
自分で勝手に空気読んで、言いたいことも言えずに疲れている、モヤモヤしている気持ちの八つ当たりですね。
やっぱり空気を読むのはほどほどにしないとね。
言い方を変えれば「相手の顔色を窺う」「相手の腹を探る」「上手く立ち回る」ってのが空気を読むことだから。
しかしねー、さっきも言いましたが意識して空気を読んでるんじゃないんです。
もう反射なんです、パブロフの犬と同じなんです。
「コミュニケーション=空気を読む」
こういう図式が脳の中で出来あがっているんです。
ポケーっと何も考えずに、無防備な状態でコミュニケーション出来たらどんなに楽で幸せか・・・。
だから私は独りの静かな時間が好きなんです。
予告⇒次回のブログは「空気が読めない人」について書きます。
最後にちょっとだけお時間を・・・。
皆さんが応援してくださったおかげで、ブログ村のランキングもぐんぐん上がって今週は心理カウンセリング部門OUTポイントで2位を維持しています。
もうね、本当に有難くて泣きましたよ(>_<)
ただね、2位なんですよね、2位・・・。
せっかくならやっぱりね、その上があるわけですから。
まあここまで言えば、普通はね、空気を読んでくださるというのが日本人の美学なわけで・・・。
あれ??下の猫ちゃんが何か言ってる。
何だろうなあ・・・?
県外にいる長男が金曜日から3連休なので、とりあえずの足にするため駅の駐輪場に原付を置いてきました。
ちなみに私は、今日(土曜日)も仕事です。(*_*)
で、今朝は出社前にこうしてブログの更新をしています。
早速ですが、私は割と空気を読むタイプです。
いや、割とどころかガンガンに読みます!読みまくります!
読んでばかりで吸うのを忘れて、たまに気がつくと息苦しくなるほど・・・。
空気を読むというのは、つまり場の雰囲気や相手の態度などから状況を察し、それを汲み取った行動をすることだと思いますが、一般的にはコミュニケーション能力として必要なこととされています。
しかし、これも程度の問題で、あまりにそうした行動が過ぎると
「計算高い人」「立ち回りが上手くて腹黒い人」
などといわれることもあります。
ただ、空気を読みまくるタイプの私から言わせてもらうと、別に意識して読んでるわけでもないんです。
いちいち考えながら空気を読んでいるような人は、まあ実際には大して場の空気を読めない人だと思います。
本当に空気を読める人、それが心底身についてしまった人は、
瞬時に読む!いつも読む!考える前に読む!息を吸うように読む!
ブルース・リーの言葉「考えるな感じるんだ」に匹敵するほど。
尚且つ
空気を読むことを自分ではやめられない(>_<)
これまた「やめられないとまらない」のかっぱえびせんに匹敵です。
とにかくそんな感じなのですよ、少なくとも私はそう。
もちろん常に100%読み切れるわけではないけどね。
でもね、これは正直言って疲れます。
だいたい本来は吸うべきものである空気を読んでばかりいるのですから、先程書いたように息苦しくもなりますよ。
まさに酸欠状態(*_*;
おまけに私のようなタイプは、ついつい周囲の人にも空気を読むことを(言葉や態度で)要求してしまうので、その度が過ぎると周りも息苦しくなるのです。
日本人はどの外国人と比べても、空気を読むことに長けている民族だと言われています。
島国であること、単一民族であること(しかし厳密には違います)、農耕民族であること、などがその理由と言われていますが、そうした空気を読む風習というか習慣は、特に現代のサラリーマンにしっかりと受け継がれているんですね。
組織の潤滑剤とかムードメーカーなどといわれるような人は、おそらく上手に空気が読めるタイプの人なのでしょうが、あまりにそんなことばかりしていると、自分自身というものをどんどん失ってしまいます。
自己主張が出来なくなり、その場の状況や相手の態度、感情に合わせた対応しかできなくなるのです。
これはなかなか辛くて苦しいものです。
そんな時、いわゆる空気を読めない人の自由奔放な態度(空気を読む人からはそう見える)を目の当たりにすると・・・
イライラします!頭にきます!もっと空気読めよ!と思います(場合によっては実際に言います)。
自分で勝手に空気読んで、言いたいことも言えずに疲れている、モヤモヤしている気持ちの八つ当たりですね。
やっぱり空気を読むのはほどほどにしないとね。
言い方を変えれば「相手の顔色を窺う」「相手の腹を探る」「上手く立ち回る」ってのが空気を読むことだから。
しかしねー、さっきも言いましたが意識して空気を読んでるんじゃないんです。
もう反射なんです、パブロフの犬と同じなんです。
「コミュニケーション=空気を読む」
こういう図式が脳の中で出来あがっているんです。
ポケーっと何も考えずに、無防備な状態でコミュニケーション出来たらどんなに楽で幸せか・・・。
だから私は独りの静かな時間が好きなんです。
予告⇒次回のブログは「空気が読めない人」について書きます。
最後にちょっとだけお時間を・・・。
皆さんが応援してくださったおかげで、ブログ村のランキングもぐんぐん上がって今週は心理カウンセリング部門OUTポイントで2位を維持しています。
もうね、本当に有難くて泣きましたよ(>_<)
ただね、2位なんですよね、2位・・・。
せっかくならやっぱりね、その上があるわけですから。
まあここまで言えば、普通はね、空気を読んでくださるというのが日本人の美学なわけで・・・。
あれ??下の猫ちゃんが何か言ってる。
何だろうなあ・・・?
2016年12月22日
仕事は辛くて当たり前なのか?
やっぱり今日は雨になりましたね
でもなんだか風が暖かくて、春先の雨のような匂いがしました。
冬なら冬らしく、雪が降った方がいいような気がしますが、それはそれでいろいろ困るんだろうな。
先日のブログにも書きましたが、ちょっと仕事が大変になると、つい愚痴が出てしまいます。
そしてそんな自分が嫌になって落ち込むのです。
最後に自分で自分を慰めるのは
「仕事なんて辛くて当たり前だよ」という言葉。
巷では「好きを仕事に」なんて言葉も聞かれますが、正直私にはあまりピンときません。
でもよくよく考えて、さらにもっとよく考えてみると、はたして仕事って辛いのは当たり前なのか?本当にそういうものなのか?
そんな疑問が湧いてきます。
確かに仕事には辛いことや我慢することもたくさんあります。
でも私の場合は、心の中に「仕事は辛いものであって欲しい」という願望があるんじゃないか?
なんだかそんな気がしてきました。
辛いことを我慢する自分
嫌なことを耐える自分
誰かのために仕事をする自分
そんな自分であってこそ初めて価値がある。
どうもそんな気持ちが心の奥に潜んでいるようにも思います。
好きなこと、やりたいことを仕事にして、生き生きとそれに取り組んでいる人を見ると、羨ましいという気持ちや、自分にはそんな才能はないからという気持ちや、人生そんなに甘くはないのだという、よくわからない感情が溢れてきて、結局いつもの辛い仕事にしがみついている。
これではきっとどんな仕事をしても、必死にその仕事の辛い部分だけを探して、そしてまたこういうのでしょう。
ほら、やっぱり仕事は辛くて当たり前だよ(-_-)
私が社会人になってこれまで携わってきた仕事には、辛いことばかりでなく、楽しかったこと、嬉しかったこと、良かったこと、充実感を得たこともたくさんありました。
いまの仕事もそうです。
常に仕事が辛いと感じてしまうのは、仕事そのものの問題よりも、辛いことを頑張る自分にしか価値がないと思い込んでいる自分に問題があるのかも知れません。
辛いことを無理に楽しいと思い込む必要はありませんが、「辛くない仕事なんかないんだ」と決めつけることは、自分で自分を虐めているようなものです。
辛くて嫌なことを我慢し続ける自分にしか価値を見いだせないようでは、きっといつまでたっても、どんな仕事をしても「仕事は辛くて当たり前」という呪縛からは解放されないのでしょう。
これは自分にとっての大きな課題です。
さてさて、どうしましょう(*_*)
でもなんだか風が暖かくて、春先の雨のような匂いがしました。
冬なら冬らしく、雪が降った方がいいような気がしますが、それはそれでいろいろ困るんだろうな。
先日のブログにも書きましたが、ちょっと仕事が大変になると、つい愚痴が出てしまいます。
そしてそんな自分が嫌になって落ち込むのです。
最後に自分で自分を慰めるのは
「仕事なんて辛くて当たり前だよ」という言葉。
巷では「好きを仕事に」なんて言葉も聞かれますが、正直私にはあまりピンときません。
でもよくよく考えて、さらにもっとよく考えてみると、はたして仕事って辛いのは当たり前なのか?本当にそういうものなのか?
そんな疑問が湧いてきます。
確かに仕事には辛いことや我慢することもたくさんあります。
でも私の場合は、心の中に「仕事は辛いものであって欲しい」という願望があるんじゃないか?
なんだかそんな気がしてきました。
辛いことを我慢する自分
嫌なことを耐える自分
誰かのために仕事をする自分
そんな自分であってこそ初めて価値がある。
どうもそんな気持ちが心の奥に潜んでいるようにも思います。
好きなこと、やりたいことを仕事にして、生き生きとそれに取り組んでいる人を見ると、羨ましいという気持ちや、自分にはそんな才能はないからという気持ちや、人生そんなに甘くはないのだという、よくわからない感情が溢れてきて、結局いつもの辛い仕事にしがみついている。
これではきっとどんな仕事をしても、必死にその仕事の辛い部分だけを探して、そしてまたこういうのでしょう。
ほら、やっぱり仕事は辛くて当たり前だよ(-_-)
私が社会人になってこれまで携わってきた仕事には、辛いことばかりでなく、楽しかったこと、嬉しかったこと、良かったこと、充実感を得たこともたくさんありました。
いまの仕事もそうです。
常に仕事が辛いと感じてしまうのは、仕事そのものの問題よりも、辛いことを頑張る自分にしか価値がないと思い込んでいる自分に問題があるのかも知れません。
辛いことを無理に楽しいと思い込む必要はありませんが、「辛くない仕事なんかないんだ」と決めつけることは、自分で自分を虐めているようなものです。
辛くて嫌なことを我慢し続ける自分にしか価値を見いだせないようでは、きっといつまでたっても、どんな仕事をしても「仕事は辛くて当たり前」という呪縛からは解放されないのでしょう。
これは自分にとっての大きな課題です。
さてさて、どうしましょう(*_*)
朝のつぶやき
今日は久しぶりの雨になるようです
仕事中は屋内と屋外を出たり入ったりするので、雨だと濡れることもあります。
特に冬の雨は体を冷やしてしまうので、風邪をひかないように気をつけないとね。
今年を振り返ってみて一番良かったことは、私も家族もまずまず健康で一年間を過ごせたことです。
普段は特に信心深いわけではないですが、神社仏閣を訪れた際には必ず、健康でいられることの感謝とこれからも健康であるようにとお願いをする私です。
終わり良ければすべて良し
一年の締めくくりに思うことは、感謝です。
元気に新年を迎えられるよう、気を引き締めて今日も頑張ります(^O^)/
仕事中は屋内と屋外を出たり入ったりするので、雨だと濡れることもあります。
特に冬の雨は体を冷やしてしまうので、風邪をひかないように気をつけないとね。
今年を振り返ってみて一番良かったことは、私も家族もまずまず健康で一年間を過ごせたことです。
普段は特に信心深いわけではないですが、神社仏閣を訪れた際には必ず、健康でいられることの感謝とこれからも健康であるようにとお願いをする私です。
終わり良ければすべて良し
一年の締めくくりに思うことは、感謝です。
元気に新年を迎えられるよう、気を引き締めて今日も頑張ります(^O^)/
2016年12月20日
信頼に値するカウンセラー
毎日いろんなことが起こります。
良いこと、悪いこと、そのどちらでもないこと・・・
取り立てて何事も起きなかった日は「退屈だけど平和に過ごせたなあ・・・」と思います。
私はそういうタイプです。
昨日はまたまた更新をサボったので、今夜は二つめのブログです。
タイトルは「信頼に値するカウンセラー」です。
読み進むとわかりますが、かなりキツいことが書いてありますので、取扱注意です!
では・・・
あなたは大切なことを決めるとき、自分で決めますか?それとも誰かに決めてもらいますか?
「そんなの自分に決まってるでしょ!」
と言いたいところですが、必ずしもそうとばかりも言えませんね。
何かを決めるということは、他の選択肢を捨てるということになります。
決めたことによるリスクもあれば、責任も発生します。
リスクは怖いし責任も負いたくないとなると、なかなか決められなくなります。
「今日のランチは何にしようか?」ということさえなかなか決められない人もいますが、昼飯ぐらいなら何を食べても大した問題ではありません。
しかし、その人の人生に大きく関わるような問題であれば迷うのも当然です。
受験、就職、転職、恋愛、結婚、離婚、病気・・・
他にも人生で大きな決断を迫られる場面はいくらでもあります。
「大切なことほど自分で決める」という人もいるでしょう。
あるいは「必ず誰かに相談する」、「誰かに決めてもらう」という人もいると思います。
例え決めるのが誰であれ、自分の人生を他人に生きてもらうことは出来ないのですから、相談するしないは別として、最終的には自分の責任と覚悟を持って自分で決めるのが望ましいのは間違いありません。
しかし、それができる人ばかりではないですよね。
「自分で決めるしかないと思っていても、どうしても自分では決められない」
むしろそんな人の方が多いかも知れません。
自分の事を自分で決めるということは、自分自身に対する信頼がなければできないことです。
そして、そんな人たちは自分以外の信頼できる誰かに、人生の大切な決め事を相談することもあるでしょう。
カウンセラーはその信頼できる誰かにならなければいけないし、いつまでもなれなければいずれは淘汰されてしまう存在なのです。
どうしたら「信頼できるカウンセラー」になれるのか?
どうやって「信頼できるカウンセラー」であることを知ってもらうのか?
そう考えると、ホームページやブログ、メルマガ、その他のSNSで、自身が信頼に値するカウンセラーであることを発信することの重要性がわかります。
※なかでもメルマガはとても効果的な情報発信の手段だと思います。
また、自ら講座やセミナーを開くことで、自分という人間を直接知ってもらうことも大切でしょう。
ただ、いずれの場合もカウンセラー自身が信頼に値するだけの人物で在るという前提でなければ、SNSもセミナー開催もあまり意味を持ちません。
カウンセラーとして信頼されるということは、非常に高いハードルだと思います。
読まれないブログ、人が集まらないセミナー・・・
足りないのは情報発信のスキルだけなのか?
それとも自身がカウンセラーとして信頼に値するだけの人間でないからなのか?
考えてみれば、プロのカウンセラーというのは、本当に誤魔化しが効かない、その能力と人間性を直接的に評価される、恐ろしいほど厳しい職業なのですね。
ある意味こうしてブログを書くだけの私は気楽な身分ですが、実際にカウンセラーとして活動されている方々は、その厳しさの中に身を置いていると思うと・・・
「カウンセラーはいばらの道」
今更ながら、本当に重い言葉です。
良いこと、悪いこと、そのどちらでもないこと・・・
取り立てて何事も起きなかった日は「退屈だけど平和に過ごせたなあ・・・」と思います。
私はそういうタイプです。
昨日はまたまた更新をサボったので、今夜は二つめのブログです。
タイトルは「信頼に値するカウンセラー」です。
読み進むとわかりますが、かなりキツいことが書いてありますので、取扱注意です!
では・・・
あなたは大切なことを決めるとき、自分で決めますか?それとも誰かに決めてもらいますか?
「そんなの自分に決まってるでしょ!」
と言いたいところですが、必ずしもそうとばかりも言えませんね。
何かを決めるということは、他の選択肢を捨てるということになります。
決めたことによるリスクもあれば、責任も発生します。
リスクは怖いし責任も負いたくないとなると、なかなか決められなくなります。
「今日のランチは何にしようか?」ということさえなかなか決められない人もいますが、昼飯ぐらいなら何を食べても大した問題ではありません。
しかし、その人の人生に大きく関わるような問題であれば迷うのも当然です。
受験、就職、転職、恋愛、結婚、離婚、病気・・・
他にも人生で大きな決断を迫られる場面はいくらでもあります。
「大切なことほど自分で決める」という人もいるでしょう。
あるいは「必ず誰かに相談する」、「誰かに決めてもらう」という人もいると思います。
例え決めるのが誰であれ、自分の人生を他人に生きてもらうことは出来ないのですから、相談するしないは別として、最終的には自分の責任と覚悟を持って自分で決めるのが望ましいのは間違いありません。
しかし、それができる人ばかりではないですよね。
「自分で決めるしかないと思っていても、どうしても自分では決められない」
むしろそんな人の方が多いかも知れません。
自分の事を自分で決めるということは、自分自身に対する信頼がなければできないことです。
そして、そんな人たちは自分以外の信頼できる誰かに、人生の大切な決め事を相談することもあるでしょう。
カウンセラーはその信頼できる誰かにならなければいけないし、いつまでもなれなければいずれは淘汰されてしまう存在なのです。
どうしたら「信頼できるカウンセラー」になれるのか?
どうやって「信頼できるカウンセラー」であることを知ってもらうのか?
そう考えると、ホームページやブログ、メルマガ、その他のSNSで、自身が信頼に値するカウンセラーであることを発信することの重要性がわかります。
※なかでもメルマガはとても効果的な情報発信の手段だと思います。
また、自ら講座やセミナーを開くことで、自分という人間を直接知ってもらうことも大切でしょう。
ただ、いずれの場合もカウンセラー自身が信頼に値するだけの人物で在るという前提でなければ、SNSもセミナー開催もあまり意味を持ちません。
カウンセラーとして信頼されるということは、非常に高いハードルだと思います。
読まれないブログ、人が集まらないセミナー・・・
足りないのは情報発信のスキルだけなのか?
それとも自身がカウンセラーとして信頼に値するだけの人間でないからなのか?
考えてみれば、プロのカウンセラーというのは、本当に誤魔化しが効かない、その能力と人間性を直接的に評価される、恐ろしいほど厳しい職業なのですね。
ある意味こうしてブログを書くだけの私は気楽な身分ですが、実際にカウンセラーとして活動されている方々は、その厳しさの中に身を置いていると思うと・・・
「カウンセラーはいばらの道」
今更ながら、本当に重い言葉です。
明るい夜
暮れも押し迫ってきたので、ちょっと早めに我が家の蛍光灯を交換しました。
昨年は交換しなかったから2年ぶりかなあ・・・
まだ切れてはいませんが、定期的に変えた方が明るいしね
外した蛍光灯や電球を持って、いつもの家電量販店へ・・・
いろんな種類の蛍光灯を自分で探すのは面倒なので、人の良さそうな店員さんに
「これと同じのお願いします!」とお任せしました。
店員さんはさすがプロ。
あっという間にこちらの要望通り(安くて長持ちで明るいやつ)が揃って今日の買い物終了〜
しかし問題はこの後です。
カバーがついた蛍光灯は、見栄えはいいけどカバーの脱着(特にはめる方)が面倒なのです。
2年前に交換した時も、あまりにカバーの取り付けが上手くいかず、最後にはブチ切れてカバーをバキバキに割ってしまう寸前まで追い込まれたことを思い出しました。
案の定、今回もかなり手間取りましたが、この2年で人間が出来てきたのか、ブチ切れることなくプチ切れ程度で無事に作業は終わりました。
築20年を過ぎた我が家ですが、まだまだ建て替えやリフォームの予定はないものの、もし機会があれば、家中の照明は全て同じ形状でむき出しの直管タイプの蛍光灯と、普通の丸い電球だけにしようと本気で考えています。
時代はLEDと言われていますが、蛍光灯なりのメリットもあるので、我が家はまだしばらくこのままですね。
買い物の帰りに一緒についてきた長男と二人で、少し遅めのランチです。
今年流行った?ローストビーフ丼を食べましたが、なかなかのお味でした。
暗くなってリビングの3つの照明を灯すと、やっぱりうんと明るくなったと実感できました。
気持ちもほんの少しだけ晴れやかになったような気がした、師走の日曜日の夜でした。
昨年は交換しなかったから2年ぶりかなあ・・・
まだ切れてはいませんが、定期的に変えた方が明るいしね
外した蛍光灯や電球を持って、いつもの家電量販店へ・・・
いろんな種類の蛍光灯を自分で探すのは面倒なので、人の良さそうな店員さんに
「これと同じのお願いします!」とお任せしました。
店員さんはさすがプロ。
あっという間にこちらの要望通り(安くて長持ちで明るいやつ)が揃って今日の買い物終了〜
しかし問題はこの後です。
カバーがついた蛍光灯は、見栄えはいいけどカバーの脱着(特にはめる方)が面倒なのです。
2年前に交換した時も、あまりにカバーの取り付けが上手くいかず、最後にはブチ切れてカバーをバキバキに割ってしまう寸前まで追い込まれたことを思い出しました。
案の定、今回もかなり手間取りましたが、この2年で人間が出来てきたのか、ブチ切れることなくプチ切れ程度で無事に作業は終わりました。
築20年を過ぎた我が家ですが、まだまだ建て替えやリフォームの予定はないものの、もし機会があれば、家中の照明は全て同じ形状でむき出しの直管タイプの蛍光灯と、普通の丸い電球だけにしようと本気で考えています。
☆こんな感じが理想です(^O^)/
時代はLEDと言われていますが、蛍光灯なりのメリットもあるので、我が家はまだしばらくこのままですね。
買い物の帰りに一緒についてきた長男と二人で、少し遅めのランチです。
今年流行った?ローストビーフ丼を食べましたが、なかなかのお味でした。
暗くなってリビングの3つの照明を灯すと、やっぱりうんと明るくなったと実感できました。
気持ちもほんの少しだけ晴れやかになったような気がした、師走の日曜日の夜でした。
2016年12月18日
「なんで?」ってすぐに聞く人
今日は午後からお休みをもらって、いろいろと用事を済ませてきました。
〜自転車に乗って遊んだわけではなくただのイメージ画像です。〜
どうやら少々疲れ気味のようなので、風邪などひかないように気をつけなくては。
明日も遊びは控えて、なるべく大人しくしているつもりです。
ではさっそく今日の記事。
すぐに「なんで?」って聞く人、たまにいますよね。
子供はけっこう「なんで?」「どうして?」などと親を質問攻めにしますが、大人でも「なんで?」が口癖の人がいます。
本人は無意識に言っちゃうんでしょうが、「なんで?」と聞かれた相手はだいたい困ります。
なぜならそうした場合の「なんで?」は単なる疑問や問いかけではない場合が多いから。
「えっなんでそうなるの?私の考えと違うけど!」
「その意見に私は納得がいかない!」
状況にもよりますが、少なくとも言われた相手にはこのように感じられるのですね。
つまりこの場合の「なんで?」は、相手を否定する「なんで?」なのです。
一般の人に言われるのならともかく、まがりなりにもカウンセリングを学んでいる人からそんな言葉を聞くと、正直かなりがっかりします。
人と話していて、相手の意見や考えが自分とは違うと感じることはいくらでもあります。
それに対して疑問を感じたにせよ、或いは「この人の考え間違ってる!私が正しいことを教えてあげないと!」と思ったにせよ、すぐに「なんで?」と返すのはあまりに稚拙な態度としか思えません。
しかもそういう人は、根が正直というか単純というか、言葉だけでなく態度や表情にも気持ちがそのまま表れていることが多く、否定的な「なんで?」は、ちょっと感受性の強い相手には必ず伝わってしまいます。
もうずいぶん前の事ですが、ある決め事について二人の方が意見のやり取りをしていて、相手から「なんで?」と言われた片方の人が、私にこう言ってきたことがあります。
「〇〇さんが顔をゆがめて「えーっなんで?!」と言ってきた。」
私はその場にはいなかったので、本当に顔をゆがめていたかどうかはわかりませんが、言われた相手は間違いなくそう感じたのでしょうね。
私は人と会話する際に、言葉だけでなく態度や雰囲気を意識して表す場合もありますし、あまり表さない場合やときには自分の気持ちとは逆の態度を表すこともあります。
特に仕事などでは、立場の違いで意見が合わないことなど日常茶飯事なので、当然のように必要に応じて反論したり自分の意見をはっきりと言わなければいけないことがありますが、相手の意見と相反していればいるほど、とりあえずはじっくりと聴く態度と姿勢を表に出すようにしています。
これは別にカウンセリングを意識しているわけでも何でもなく、経験上そのほうが自分の意見が通りやすかったり、相手との妥協点を見い出しやすかったりして、最終的には話し合いが上手くいくことが多いと知っているからです。
まあ私に限らず世の男性(もちろん女性も)のほとんどは、仕事の場でいちいち正直に自分の気持ちを出していたら、とても社会人として上手くやっていけませんからねー(^^;
相手の意見に納得がいかない時ほど「なんで?」ではなく「なるほどね〜」と笑顔で応えましょう。
ほら、あのフーテンの寅さんも歌っているじゃあないですか。
『男というもの辛いもの、顔で笑って腹で泣く🎵』ってね。
やっぱり何事も急がば回れということです。
〜自転車に乗って遊んだわけではなくただのイメージ画像です。〜
どうやら少々疲れ気味のようなので、風邪などひかないように気をつけなくては。
明日も遊びは控えて、なるべく大人しくしているつもりです。
ではさっそく今日の記事。
すぐに「なんで?」って聞く人、たまにいますよね。
子供はけっこう「なんで?」「どうして?」などと親を質問攻めにしますが、大人でも「なんで?」が口癖の人がいます。
本人は無意識に言っちゃうんでしょうが、「なんで?」と聞かれた相手はだいたい困ります。
なぜならそうした場合の「なんで?」は単なる疑問や問いかけではない場合が多いから。
「えっなんでそうなるの?私の考えと違うけど!」
「その意見に私は納得がいかない!」
状況にもよりますが、少なくとも言われた相手にはこのように感じられるのですね。
つまりこの場合の「なんで?」は、相手を否定する「なんで?」なのです。
一般の人に言われるのならともかく、まがりなりにもカウンセリングを学んでいる人からそんな言葉を聞くと、正直かなりがっかりします。
人と話していて、相手の意見や考えが自分とは違うと感じることはいくらでもあります。
それに対して疑問を感じたにせよ、或いは「この人の考え間違ってる!私が正しいことを教えてあげないと!」と思ったにせよ、すぐに「なんで?」と返すのはあまりに稚拙な態度としか思えません。
しかもそういう人は、根が正直というか単純というか、言葉だけでなく態度や表情にも気持ちがそのまま表れていることが多く、否定的な「なんで?」は、ちょっと感受性の強い相手には必ず伝わってしまいます。
もうずいぶん前の事ですが、ある決め事について二人の方が意見のやり取りをしていて、相手から「なんで?」と言われた片方の人が、私にこう言ってきたことがあります。
「〇〇さんが顔をゆがめて「えーっなんで?!」と言ってきた。」
私はその場にはいなかったので、本当に顔をゆがめていたかどうかはわかりませんが、言われた相手は間違いなくそう感じたのでしょうね。
私は人と会話する際に、言葉だけでなく態度や雰囲気を意識して表す場合もありますし、あまり表さない場合やときには自分の気持ちとは逆の態度を表すこともあります。
特に仕事などでは、立場の違いで意見が合わないことなど日常茶飯事なので、当然のように必要に応じて反論したり自分の意見をはっきりと言わなければいけないことがありますが、相手の意見と相反していればいるほど、とりあえずはじっくりと聴く態度と姿勢を表に出すようにしています。
これは別にカウンセリングを意識しているわけでも何でもなく、経験上そのほうが自分の意見が通りやすかったり、相手との妥協点を見い出しやすかったりして、最終的には話し合いが上手くいくことが多いと知っているからです。
まあ私に限らず世の男性(もちろん女性も)のほとんどは、仕事の場でいちいち正直に自分の気持ちを出していたら、とても社会人として上手くやっていけませんからねー(^^;
相手の意見に納得がいかない時ほど「なんで?」ではなく「なるほどね〜」と笑顔で応えましょう。
ほら、あのフーテンの寅さんも歌っているじゃあないですか。
『男というもの辛いもの、顔で笑って腹で泣く🎵』ってね。
やっぱり何事も急がば回れということです。
2016年12月17日
今年を振り返って「竹の子会のこと」など
寒くなったねー
ここんとこホント寒くなりました。
こんな時はあったかいお汁粉なんかいいなあ・・・(^-^)
さて、今年ももうあと僅かです。
風邪をひいたりして体調を壊さないように、無事に新年を迎えたいものですが、そろそろ来年のことも考えないといけません。
その前に今年を振り返ってみると、年明け早々に◎の手術で入院するという出来事がありました。
ただ、その後の経過は至って順調で、入院と退院後の療養が良い休養になったこともあり、今年一年はまずまず健康に過ごせたと思います。
もともとの持病である生活習慣病の数値も、最近はずっと標準値で落ち着いていますが、これは休日にサイクリングやウォーキングなどを積極的にやったおかげかも知れません。
やはり今年は家族も含めて大きな病気やケガ、トラブルがなかったのが本当になによりでした。
あらためて健康が一番だと実感した年でもありました。
では仕事に関してはというと・・・
これはもう、なかなか大変な一年でした。
仕事のことはあまり詳しくは書けない(書きたくない)のですが、簡単に言うと、これまでよりもさらに責任が重くなり、それに伴ってやらないといけないこともどんどん増えた年になりました。
まあ、それが結果的に自分自身の成長につながると考えれば、だらだらと仕事をするよりずっと良かったと言えるかも知れません。
そして来年以降も、こうした状況は続いていくことになります。
カウンセリングに関しては、やはり10年近く関わってきた竹の子会を、今年の春で卒業したことが最も大きな出来事でした。
卒業といえば聞こえがいいのですが、もちろんそんな制度があるはずもなく、自己都合で会の活動から離れたということになります。
当時は会を辞める理由をいろんな人に聞かれる度に、なんとなくそれなりの言い訳を話していました。
実ははっきり言って、辞める理由が自分でもよくわからなかったから。
今振り返ってみると、おそらく少し前からもうそろそろ潮時だと感じていたのだと思います。
なぜそう思ったのかは自分でもよくわからない部分もあるのですが、数年前に副会長から会長になった時点で会の活動自体が自分にとって責務になってしまい、本心から楽しめなくなったからかも知れません。
あるいは活動自体の将来がイメージできなくなったこともあると思います。
他にもいろいろ感じていたり、予想していたこともありますし。
なんだかはっきりしないことばかりですみません。
やっぱり今でも辞めた理由はよくわからないというのが正解なのです。
それでも言えるのは、もしあのまま会長を続けていたとしたら、おそらく私はもっと自分の考えを強力に押し出して、ある意味でワンマンになっていったんじゃないかと思います。
私がそうしたいというより、誰かがそうしないといけなくなってきていると思い始めていましたから。
しかし、それは私にとってやりたくないことですし、きっと上手くはいかなかったと思うので、結果的にあのタイミングで卒業したのは、私にとってはよかったし、必然だったのだと思っています。
ボランティア団体であれ営利目的の企業であれ、他人の集まりである組織を続けて行くというのは難しいものです。
みんな平等に、みんな仲良く、みんなで相談して、などというのは聞こえはいいのですが、それだけで上手くいくことなどありません。
やはりそこにはしっかりと組織をまとめるリーダーがいたり、求心力となるものの存在が必要なのだと思います。
そうか・・・今わかりました。
私が会を辞めた理由は簡単なことでした。
私はリーダーには向いていなかった。
それが理由です。
仕事であればたとえ向いていなくても限界ぎりぎりまで頑張るしかありませんが、自主的な活動の場ではそこまで頑張れなかったということです。
つくづくリーダーを続けるのは難しいことだと思います。
竹の子会との出会いは、私がカウンセリングを学ぶきっかけであり、また成長させてくれた場でもありました。
そして何より会の活動は本当に楽しかった。
会の活動を通して、素晴らしい先生や多くの仲間と出会うことも出来ました。
私はもちろん、他の卒業生にとっても竹の子会は母校のようなものだと思います。
来年の2月には定例の「傾聴トレーニング」が行われるようですが、私もぜひ参加したいと思っています。
好き勝手なことばかり書きましたが、私にとっての潮時を経て、今後も自分なりの道を進みたいと思います。
潮時とは
「物事を始めたり終えたりするのに、前向きな意味で【ちょうどよい頃合い】のこと。」
ここんとこホント寒くなりました。
こんな時はあったかいお汁粉なんかいいなあ・・・(^-^)
さて、今年ももうあと僅かです。
風邪をひいたりして体調を壊さないように、無事に新年を迎えたいものですが、そろそろ来年のことも考えないといけません。
その前に今年を振り返ってみると、年明け早々に◎の手術で入院するという出来事がありました。
ただ、その後の経過は至って順調で、入院と退院後の療養が良い休養になったこともあり、今年一年はまずまず健康に過ごせたと思います。
もともとの持病である生活習慣病の数値も、最近はずっと標準値で落ち着いていますが、これは休日にサイクリングやウォーキングなどを積極的にやったおかげかも知れません。
やはり今年は家族も含めて大きな病気やケガ、トラブルがなかったのが本当になによりでした。
あらためて健康が一番だと実感した年でもありました。
では仕事に関してはというと・・・
これはもう、なかなか大変な一年でした。
仕事のことはあまり詳しくは書けない(書きたくない)のですが、簡単に言うと、これまでよりもさらに責任が重くなり、それに伴ってやらないといけないこともどんどん増えた年になりました。
まあ、それが結果的に自分自身の成長につながると考えれば、だらだらと仕事をするよりずっと良かったと言えるかも知れません。
そして来年以降も、こうした状況は続いていくことになります。
カウンセリングに関しては、やはり10年近く関わってきた竹の子会を、今年の春で卒業したことが最も大きな出来事でした。
卒業といえば聞こえがいいのですが、もちろんそんな制度があるはずもなく、自己都合で会の活動から離れたということになります。
当時は会を辞める理由をいろんな人に聞かれる度に、なんとなくそれなりの言い訳を話していました。
実ははっきり言って、辞める理由が自分でもよくわからなかったから。
今振り返ってみると、おそらく少し前からもうそろそろ潮時だと感じていたのだと思います。
なぜそう思ったのかは自分でもよくわからない部分もあるのですが、数年前に副会長から会長になった時点で会の活動自体が自分にとって責務になってしまい、本心から楽しめなくなったからかも知れません。
あるいは活動自体の将来がイメージできなくなったこともあると思います。
他にもいろいろ感じていたり、予想していたこともありますし。
なんだかはっきりしないことばかりですみません。
やっぱり今でも辞めた理由はよくわからないというのが正解なのです。
それでも言えるのは、もしあのまま会長を続けていたとしたら、おそらく私はもっと自分の考えを強力に押し出して、ある意味でワンマンになっていったんじゃないかと思います。
私がそうしたいというより、誰かがそうしないといけなくなってきていると思い始めていましたから。
しかし、それは私にとってやりたくないことですし、きっと上手くはいかなかったと思うので、結果的にあのタイミングで卒業したのは、私にとってはよかったし、必然だったのだと思っています。
ボランティア団体であれ営利目的の企業であれ、他人の集まりである組織を続けて行くというのは難しいものです。
みんな平等に、みんな仲良く、みんなで相談して、などというのは聞こえはいいのですが、それだけで上手くいくことなどありません。
やはりそこにはしっかりと組織をまとめるリーダーがいたり、求心力となるものの存在が必要なのだと思います。
そうか・・・今わかりました。
私が会を辞めた理由は簡単なことでした。
私はリーダーには向いていなかった。
それが理由です。
仕事であればたとえ向いていなくても限界ぎりぎりまで頑張るしかありませんが、自主的な活動の場ではそこまで頑張れなかったということです。
つくづくリーダーを続けるのは難しいことだと思います。
竹の子会との出会いは、私がカウンセリングを学ぶきっかけであり、また成長させてくれた場でもありました。
そして何より会の活動は本当に楽しかった。
会の活動を通して、素晴らしい先生や多くの仲間と出会うことも出来ました。
私はもちろん、他の卒業生にとっても竹の子会は母校のようなものだと思います。
来年の2月には定例の「傾聴トレーニング」が行われるようですが、私もぜひ参加したいと思っています。
好き勝手なことばかり書きましたが、私にとっての潮時を経て、今後も自分なりの道を進みたいと思います。
潮時とは
「物事を始めたり終えたりするのに、前向きな意味で【ちょうどよい頃合い】のこと。」
2016年12月16日
自分の幸せは自分で見つけるのだ(バカボンのパパ風に)
もう一度本当にごめんなさい🙇
なぜ謝っているのかわからない人は、ひとつ前の記事を読んでね🎵
ではさっそく今夜2本目の記事にいきます。
タイトルは「自分の幸せは自分で見つけるのだ(バカボンのパパ風に)」
そう、幸せのカタチや感じ方は人それぞれ。
幸せそうな人や、幸せ上手な人を見習ったり「どうしたらあなたのような幸せな生き方が出来るのか」と教えを乞うのもいいと思う。
ただ、気をつけないといけないことがある。
やたらと幸せになる方法を教えたがる人のなかには、本人があんまり幸せそうじゃなかったり、ただのお節介な人もいるからだ。
あれこれ言葉で教えられなくても、その人の側にいると何となく温かな穏やかな気持ちになれる人は、たぶん幸せのオーラを出している人なので、なるべくそんな人と付き合うのがいいと思う。
まあなんの根拠もないんだけどね(^^;
でもいろいろ頑張ってもどうしてもうまく幸せを感じられない人もいるだろうから、やっぱり信頼できる人にアドバイスを受けるのもいいでしょう。
じゃあどんな人が信頼できる人なのかと問われると、あくまで個人的な意見ですが、ちゃんとした根拠に基づいた具体的なアドバイスをしてくれる人と答えます。
「なんでもいいから黙って私の言う通りにやりなさい」とか「とにかく私の言う通りにやれば絶対に幸せになれる」などというアドバイスはあんまり信用できません。
ましてや「私の言うことを聞かないと不幸になる」なんてのは、非常にたちが悪い人だと思った方が間違いないです。
そもそも「必ず幸せになれる方法」などないと思っています。
いくら有効なアドバイスを受けても、実際に行動するのはその人自身なのです。
幸せは人から与えてもらうものでも、人に幸せにしてもらうものでもありません。
自分の幸せとは自分自身が感じるものなのですから。
まずは笑ってみましょう(^O^)/幸せな人は素敵な笑顔をしています。
夢を持ちましょう(^O^)/とりあえず小さな夢のほうが叶えやすいかも。
常識や普通にとらわれすぎるのをやめましょう(^O^)/人に迷惑をかけない範囲でね。
他人に期待するのはやめましょう(^O^)/自分の願望を押しつけないことが大切。
失敗を恐れずに(^O^)/チャレンジするからこそ失敗があるのです。
好きなことをやる(^O^)/とりあえず仕事以外の趣味でも社会活動でもOK!
ダラダラと時間つぶしはダメ(^O^)/テレビ、スマホ、ゲームはほどほどに。
きちんと稼いできちんと使う(^O^)/お金とは便利なものなのです。
「いいなあ」と思える生き方の人と付き合う(^O^)/今の人間関係に拘らなくて良し。
「ありがとう」を口に出して言う(^O^)/「ありがとう」は幸せに近づく言葉です。
では、最後まで読んでくれて
ありがとうヽ(^o^)丿
なぜ謝っているのかわからない人は、ひとつ前の記事を読んでね🎵
ではさっそく今夜2本目の記事にいきます。
タイトルは「自分の幸せは自分で見つけるのだ(バカボンのパパ風に)」
そう、幸せのカタチや感じ方は人それぞれ。
幸せそうな人や、幸せ上手な人を見習ったり「どうしたらあなたのような幸せな生き方が出来るのか」と教えを乞うのもいいと思う。
ただ、気をつけないといけないことがある。
やたらと幸せになる方法を教えたがる人のなかには、本人があんまり幸せそうじゃなかったり、ただのお節介な人もいるからだ。
あれこれ言葉で教えられなくても、その人の側にいると何となく温かな穏やかな気持ちになれる人は、たぶん幸せのオーラを出している人なので、なるべくそんな人と付き合うのがいいと思う。
まあなんの根拠もないんだけどね(^^;
でもいろいろ頑張ってもどうしてもうまく幸せを感じられない人もいるだろうから、やっぱり信頼できる人にアドバイスを受けるのもいいでしょう。
じゃあどんな人が信頼できる人なのかと問われると、あくまで個人的な意見ですが、ちゃんとした根拠に基づいた具体的なアドバイスをしてくれる人と答えます。
「なんでもいいから黙って私の言う通りにやりなさい」とか「とにかく私の言う通りにやれば絶対に幸せになれる」などというアドバイスはあんまり信用できません。
ましてや「私の言うことを聞かないと不幸になる」なんてのは、非常にたちが悪い人だと思った方が間違いないです。
そもそも「必ず幸せになれる方法」などないと思っています。
いくら有効なアドバイスを受けても、実際に行動するのはその人自身なのです。
幸せは人から与えてもらうものでも、人に幸せにしてもらうものでもありません。
自分の幸せとは自分自身が感じるものなのですから。
まずは笑ってみましょう(^O^)/幸せな人は素敵な笑顔をしています。
夢を持ちましょう(^O^)/とりあえず小さな夢のほうが叶えやすいかも。
常識や普通にとらわれすぎるのをやめましょう(^O^)/人に迷惑をかけない範囲でね。
他人に期待するのはやめましょう(^O^)/自分の願望を押しつけないことが大切。
失敗を恐れずに(^O^)/チャレンジするからこそ失敗があるのです。
好きなことをやる(^O^)/とりあえず仕事以外の趣味でも社会活動でもOK!
ダラダラと時間つぶしはダメ(^O^)/テレビ、スマホ、ゲームはほどほどに。
きちんと稼いできちんと使う(^O^)/お金とは便利なものなのです。
「いいなあ」と思える生き方の人と付き合う(^O^)/今の人間関係に拘らなくて良し。
「ありがとう」を口に出して言う(^O^)/「ありがとう」は幸せに近づく言葉です。
では、最後まで読んでくれて
ありがとうヽ(^o^)丿
2016年12月15日
「幸せの種」と「不幸の種」
本当にごめんなさい🙇
とりあえず先に謝っておく。
なぜなら、年内は毎日ブログを更新すると宣言したのに、その舌の根も乾かぬうちに昨日は更新しなかったから。
でもね、そういうこともあるよ。
相田みつをさんも言ってるでしょ
ほらねヽ(^o^)丿
でもいちおう気にしているので、今夜はお詫びに二つの記事を書くつもり。
でさっそく一本目の記事です。
「幸せとは見つけるものではなく、感じるもの、気づくもの」という言葉を聞いたり見たりしたことがあるかと思います。
たしかに「幸せ」とは状態ではなく、その人自身が「幸せだと感じる」かどうかなのでしょう。
しかし、そうは言っても感じようとして感じられるものでもありません。
反対に「不幸」を感じるのは容易いです。
自分の不幸を語らせると饒舌になる人は少なくないです。
また、こんなことを言う人もいます。
お金があっても幸せとは言えない。
結婚していても幸せとは限らない。
社会的地位があっても幸せとは思えない。
身体が健康でも幸せは感じられない。
なんとなく「なるほどね」とも思いますが、それが事実なら、お金も無い、結婚もしていない、社会的な地位もない、身体も不健康、なんて人はどう考えても幸せになんてなれっこありません。
幸せを感じにくい人は、まずは「不幸の種」を減らすことから始めた方がいいかも知れません。
ある程度は本人の努力で何とかなることも少なくないのです。
お金がなければ頑張って稼ぐ。
結婚したければ一生懸命に相手を見つける努力をする。
健康になりたければ自己管理を徹底し、病気の治療をする。
しかしそれでも何ともならないこともあります。
生まれた時から、そしてその後の人生において、本人の努力や頑張りだけではどうにもならないことがあるからです。
ここまでくるともう「ないものねだり」をしていても何も始まりませんから、自分の持っているもの、あるがままの自分で幸せになるしかありません。
「不幸の種」を持っていたら絶対に幸せになんてなれない。
いつまでもそう思っていたら、この世の中で1人も幸せな人などいないでしょう。
自分が「不幸の種」を持っていることばかり気にしていて「幸せの種」もちゃんと持っていることに気づいていない人は、なかなか幸せを感じられないんだと思うよ。
ちょっとベタだけど、「幸せ」といえばやっぱりこれでしょ(^O^)/
とりあえず先に謝っておく。
なぜなら、年内は毎日ブログを更新すると宣言したのに、その舌の根も乾かぬうちに昨日は更新しなかったから。
でもね、そういうこともあるよ。
相田みつをさんも言ってるでしょ
ほらねヽ(^o^)丿
でもいちおう気にしているので、今夜はお詫びに二つの記事を書くつもり。
でさっそく一本目の記事です。
「幸せとは見つけるものではなく、感じるもの、気づくもの」という言葉を聞いたり見たりしたことがあるかと思います。
たしかに「幸せ」とは状態ではなく、その人自身が「幸せだと感じる」かどうかなのでしょう。
しかし、そうは言っても感じようとして感じられるものでもありません。
反対に「不幸」を感じるのは容易いです。
自分の不幸を語らせると饒舌になる人は少なくないです。
また、こんなことを言う人もいます。
お金があっても幸せとは言えない。
結婚していても幸せとは限らない。
社会的地位があっても幸せとは思えない。
身体が健康でも幸せは感じられない。
なんとなく「なるほどね」とも思いますが、それが事実なら、お金も無い、結婚もしていない、社会的な地位もない、身体も不健康、なんて人はどう考えても幸せになんてなれっこありません。
幸せを感じにくい人は、まずは「不幸の種」を減らすことから始めた方がいいかも知れません。
ある程度は本人の努力で何とかなることも少なくないのです。
お金がなければ頑張って稼ぐ。
結婚したければ一生懸命に相手を見つける努力をする。
健康になりたければ自己管理を徹底し、病気の治療をする。
しかしそれでも何ともならないこともあります。
生まれた時から、そしてその後の人生において、本人の努力や頑張りだけではどうにもならないことがあるからです。
ここまでくるともう「ないものねだり」をしていても何も始まりませんから、自分の持っているもの、あるがままの自分で幸せになるしかありません。
「不幸の種」を持っていたら絶対に幸せになんてなれない。
いつまでもそう思っていたら、この世の中で1人も幸せな人などいないでしょう。
自分が「不幸の種」を持っていることばかり気にしていて「幸せの種」もちゃんと持っていることに気づいていない人は、なかなか幸せを感じられないんだと思うよ。
ちょっとベタだけど、「幸せ」といえばやっぱりこれでしょ(^O^)/
2016年12月13日
頭皮が固いと中身(脳)も固いのか?
何を隠そう(別に隠してないけど)私は愛煙家です。
☆普段はラークマイルドを愛煙していますが、このゴールデンバットは太宰治や芥川龍之介も好んだというタバコです。
タバコの値段はどんどん上がるし、吸える場所も限られてくるし、何よりも今どきタバコを吸っているというだけで白い目で見られることも少なくないような・・・
たしかにタバコ嫌いの人にはあの匂いは我慢できないだろうし、本人だけでなく副流煙で周囲の人の健康も害していると思うと、非常に肩身が狭い思いです。
ただ、今のところ禁煙するつもりはないので、出来るだけ他人に迷惑をかけないように嗜むよう心掛けています。
さて、先日参加した勉強会でキャリアコンサルティング(キャリコン)についての講義を受けました。
キャリコンをほとんど学んだことがない私にとって、非常に新鮮な内容でしたが、あまりに盛り沢山でしかも恐ろしいスピードで講義が進むため、ついて行くのがやっと。
というより全くついて行けない・・・(*_*;
講師の先生はこの道では押しも押されぬ第一人者の方なので、ユーモアたっぷりの講義はとてもわかりやすく、かつ深い内容であったと思うのですが、如何せん私の脳みそが追いついていけませんでした。
機会があればもっとじっくりと時間をかけて学び直してみたいです。
ただ、短い時間の中でもワークを行ったのですが、それが意思決定論の活用というやつ。
例えば「今の仕事はやりたい仕事ではなく、会社も合わない気がする。思いきって転職したいと思うが、上手く転職できるか不安があり、私はどうしたらいいの?」というクライエントに対して、会社をやめるかやめないかの2択から、より幅広い視野で問題の解決に当たるようなアプローチをするために、実際にいろいろな選択肢を考えてみようというワークなのです。
たしかにワークの意図は理解できますし、いくつかの案も考えられなくはないです。
しかし、ここで問題発生・・・(+_+)
会社をやめるやめないの2択以外の案が私の頭に浮かぶと同時に、すぐさまそれを全否定する私がいるのです。
今の会社でやりたい仕事を探す ⇒ ないからやめたいんだよ!
今の会社で違う仕事をする ⇒ だからそんなのないって!あっても簡単にさせてもらえるわけないじゃん!
転職ではなく独立開業する ⇒ 転職するよりリスクが高いのに出来ると思うの?
上司に掛け合って何とかしてもらう ⇒ 上司はすんごく嫌なやつなの!
関連会社に出向させてもらう ⇒ ないよ、関連会社なんて!
で、唯一私が納得できそうなのがこの案。
どっちかに決めかねているなら、とりあえずそのまま会社にいて考える。
う〜ん・・・これじゃあただのあきらめ?
私はハゲなので頭皮は固いのはわかっていましたが、悲しいかな中身のほうも相当固いようです。
しかも長年社会で働いてきた結果、仕事というのは辛いもの、嫌なことでも我慢するもの、自由にならないもの、耐えるもの・・・
などという強固なビリーフが出来上がってしまったんですね・・・(>_<)
まあいろいろ苦労してきたもんね、しかたないよ(-_-)
で、今夜の結論
頭皮の固さと中身(脳)の固さは比例する
ま、あくまで私の場合ということで<(_ _)>
☆皆様のおかげで現在ぐいぐいブログ村ランキング上昇中でございます☆
☆普段はラークマイルドを愛煙していますが、このゴールデンバットは太宰治や芥川龍之介も好んだというタバコです。
タバコの値段はどんどん上がるし、吸える場所も限られてくるし、何よりも今どきタバコを吸っているというだけで白い目で見られることも少なくないような・・・
たしかにタバコ嫌いの人にはあの匂いは我慢できないだろうし、本人だけでなく副流煙で周囲の人の健康も害していると思うと、非常に肩身が狭い思いです。
ただ、今のところ禁煙するつもりはないので、出来るだけ他人に迷惑をかけないように嗜むよう心掛けています。
さて、先日参加した勉強会でキャリアコンサルティング(キャリコン)についての講義を受けました。
キャリコンをほとんど学んだことがない私にとって、非常に新鮮な内容でしたが、あまりに盛り沢山でしかも恐ろしいスピードで講義が進むため、ついて行くのがやっと。
というより全くついて行けない・・・(*_*;
講師の先生はこの道では押しも押されぬ第一人者の方なので、ユーモアたっぷりの講義はとてもわかりやすく、かつ深い内容であったと思うのですが、如何せん私の脳みそが追いついていけませんでした。
機会があればもっとじっくりと時間をかけて学び直してみたいです。
ただ、短い時間の中でもワークを行ったのですが、それが意思決定論の活用というやつ。
例えば「今の仕事はやりたい仕事ではなく、会社も合わない気がする。思いきって転職したいと思うが、上手く転職できるか不安があり、私はどうしたらいいの?」というクライエントに対して、会社をやめるかやめないかの2択から、より幅広い視野で問題の解決に当たるようなアプローチをするために、実際にいろいろな選択肢を考えてみようというワークなのです。
たしかにワークの意図は理解できますし、いくつかの案も考えられなくはないです。
しかし、ここで問題発生・・・(+_+)
会社をやめるやめないの2択以外の案が私の頭に浮かぶと同時に、すぐさまそれを全否定する私がいるのです。
今の会社でやりたい仕事を探す ⇒ ないからやめたいんだよ!
今の会社で違う仕事をする ⇒ だからそんなのないって!あっても簡単にさせてもらえるわけないじゃん!
転職ではなく独立開業する ⇒ 転職するよりリスクが高いのに出来ると思うの?
上司に掛け合って何とかしてもらう ⇒ 上司はすんごく嫌なやつなの!
関連会社に出向させてもらう ⇒ ないよ、関連会社なんて!
で、唯一私が納得できそうなのがこの案。
どっちかに決めかねているなら、とりあえずそのまま会社にいて考える。
う〜ん・・・これじゃあただのあきらめ?
私はハゲなので頭皮は固いのはわかっていましたが、悲しいかな中身のほうも相当固いようです。
しかも長年社会で働いてきた結果、仕事というのは辛いもの、嫌なことでも我慢するもの、自由にならないもの、耐えるもの・・・
などという強固なビリーフが出来上がってしまったんですね・・・(>_<)
まあいろいろ苦労してきたもんね、しかたないよ(-_-)
で、今夜の結論
頭皮の固さと中身(脳)の固さは比例する
ま、あくまで私の場合ということで<(_ _)>
☆皆様のおかげで現在ぐいぐいブログ村ランキング上昇中でございます☆
平成28年12月13日の深夜に
暑い夏には弱くなったが、まだまだ寒さには強い私。
いろんな理由で自宅には私が担当?する車とバイクが2台づつあるので、バッテリーあがり防止と維持管理のため、毎日とっかえひっかえ乗らなくてはならない。
しかし短い通勤距離とはいえさすがにこの季節は、バイクに乗ると凍えるような風の冷たさが身に堪える。
バイクの維持も大事だが、風邪をひいてしまっては元も子もないのだ。
もう若くはないのだから、明日からはもっと着込んでしっかり寒さ対策をしようと思う。
帰りがけにふと最寄りの駅に立ち寄った。
無人の小さな駅なのだが、ちゃんとイルミネーションが煌めいている。
そうか
もうすぐクリスマスなのだ。
二人の息子もとっくに成人し、クリスマスだからと特別なことをすることもなくなった。
それでも毎年ケーキぐらいは食べているような気がするが、去年はどうだっただろうか・・・
クリスマスを過ぎるといよいよ今年も終わりなのだ。
感傷に浸る余裕などないが、まあ何とか無事に一年やってこれたという思いはある。
そうだ、今度の休日にはどこかの神社に行って今年一年のお礼の参拝をしてこよう。
まだ週初めの月曜の夜なのに、もう週末の休みの予定を考えている自分。
まあ昔からそうだから仕方がないな。
明日の朝も普段より早く起きて仕事に行くつもりなのに、夜中の一時をまわってしまった。
夜更かししたわりには何の内容もないブログを書いているし・・・
明日(今日?)はもう少しマシな記事を書こうと思う。
では、今週も風邪などひかないよう、皆さんも頑張って(-_-)
いろんな理由で自宅には私が担当?する車とバイクが2台づつあるので、バッテリーあがり防止と維持管理のため、毎日とっかえひっかえ乗らなくてはならない。
しかし短い通勤距離とはいえさすがにこの季節は、バイクに乗ると凍えるような風の冷たさが身に堪える。
バイクの維持も大事だが、風邪をひいてしまっては元も子もないのだ。
もう若くはないのだから、明日からはもっと着込んでしっかり寒さ対策をしようと思う。
帰りがけにふと最寄りの駅に立ち寄った。
無人の小さな駅なのだが、ちゃんとイルミネーションが煌めいている。
そうか
もうすぐクリスマスなのだ。
二人の息子もとっくに成人し、クリスマスだからと特別なことをすることもなくなった。
それでも毎年ケーキぐらいは食べているような気がするが、去年はどうだっただろうか・・・
クリスマスを過ぎるといよいよ今年も終わりなのだ。
感傷に浸る余裕などないが、まあ何とか無事に一年やってこれたという思いはある。
そうだ、今度の休日にはどこかの神社に行って今年一年のお礼の参拝をしてこよう。
まだ週初めの月曜の夜なのに、もう週末の休みの予定を考えている自分。
まあ昔からそうだから仕方がないな。
明日の朝も普段より早く起きて仕事に行くつもりなのに、夜中の一時をまわってしまった。
夜更かししたわりには何の内容もないブログを書いているし・・・
明日(今日?)はもう少しマシな記事を書こうと思う。
では、今週も風邪などひかないよう、皆さんも頑張って(-_-)
2016年12月11日
暇つぶしに読んだ本
冬晴れというのだろうか。
天気に恵まれた休日は、なんだか気持ちがワクワクしてくる🎵
で、嫁と自転車に乗って岡崎公園に出かけてみた。
最近は嫁と自転車や山歩きをすることが多いのだが、特別ラブラブ夫婦というわけではない。
年を追うごとに私の趣味に付き合ってくれる友人も少なくなり、消去法で嫁が残っただけのこと。
とはいえ二人で自転車に乗って、味噌田楽やぜんざいをつつきながらのんびり休日を過ごすのも、お互いに元気なうちしかできないのだから、いろんな意味で有難いことだと思っている。
さて今日の話題だが、最近本を買った。
起業バカ 2 やってみたら地獄だった! Idiot Entrepreneurs (ペーパーバックス) -
アマゾンで1円だったが送られてきた本を見て納得。
まるでわら半紙のような再生紙を使ったペーパーバック。
内容は期待していたものとはちょっと違っていて、脱サラして起業したけど怪しいフランチャイズチェーンや起業コンサルタントにぼったくられた話がほとんどだった。
まあ起業なんて簡単に考えていると、素人が想像する以上に酷い目に遭うということはよくわかったけどね。
一説によると、起業して成功する確率は1500分の1らしい。
どうやって調べたのか?
何をもって成功というのか?
そんな疑問もなくはないが、もしこれが事実なら宝くじでも買い続けた方がよっぽどいいんじゃないかと本気で思う。
また、実際に成功するような人というのは全てにおいて別格らしい。
つまり、能力、努力、起業にかける過剰なまでの執念、そんな諸々のものが普通の人とはかけ離れているというのだ。
うーん(゜-゜)確かにそうかもしれないなあ・・・
まあ起業と言っても会社を興して人を雇うようなものから、個人で独立開業するようなものまでさまざまだろうけど、いずれにせよ私のようにずっと雇われの身で生きてきた人間の想像を超えた厳しさがあることは間違いないのだろうね。
とりあえず起業したら3年間は、遊ばず、休まず、眠らず、の覚悟が必要と何かで読んだ記憶があるけど、とてもじゃないが私には無理。
なにしろ「私がもし起業したら週休3日にしよう!(^^)!」なんて夢のようなことを考えているのだから、そんなのは最初から棺桶に片足突っ込んで起業するようなもの。
過激なタイトルに惹かれて、暇つぶしのつもりで買った1円のペーパーブックだが、半分も読まないうちに読むのを止めてしまった。
もし本気で起業しようとしている人や、あるいはすでに起業して頑張っている人は、この本を読む暇があったら違うところに時間とエネルギーを使った方がいいだろうね。
というよりそんな人は、そもそもこの手の本は読まないと思うし、そんな暇があったらとっくに起業しているだろう。
それほど本気じゃないけど、ちょっと起業に興味があるといった程度の凡人が、自分の考えの甘さと世の中の厳しさ、安易な起業の恐ろしさにあらためて気づくということなら、それなりに意味がある本かも知れない。
なにしろアマゾンで1円だし(-_-)
まあ、送料込みで300円しないぐらいなので、それに見合った気付きは得たということかなあ(^^;
なんだか安い気付きでどーもスミマセン<(_ _)>
天気に恵まれた休日は、なんだか気持ちがワクワクしてくる🎵
で、嫁と自転車に乗って岡崎公園に出かけてみた。
最近は嫁と自転車や山歩きをすることが多いのだが、特別ラブラブ夫婦というわけではない。
年を追うごとに私の趣味に付き合ってくれる友人も少なくなり、消去法で嫁が残っただけのこと。
とはいえ二人で自転車に乗って、味噌田楽やぜんざいをつつきながらのんびり休日を過ごすのも、お互いに元気なうちしかできないのだから、いろんな意味で有難いことだと思っている。
さて今日の話題だが、最近本を買った。
起業バカ 2 やってみたら地獄だった! Idiot Entrepreneurs (ペーパーバックス) -
アマゾンで1円だったが送られてきた本を見て納得。
まるでわら半紙のような再生紙を使ったペーパーバック。
内容は期待していたものとはちょっと違っていて、脱サラして起業したけど怪しいフランチャイズチェーンや起業コンサルタントにぼったくられた話がほとんどだった。
まあ起業なんて簡単に考えていると、素人が想像する以上に酷い目に遭うということはよくわかったけどね。
一説によると、起業して成功する確率は1500分の1らしい。
どうやって調べたのか?
何をもって成功というのか?
そんな疑問もなくはないが、もしこれが事実なら宝くじでも買い続けた方がよっぽどいいんじゃないかと本気で思う。
また、実際に成功するような人というのは全てにおいて別格らしい。
つまり、能力、努力、起業にかける過剰なまでの執念、そんな諸々のものが普通の人とはかけ離れているというのだ。
うーん(゜-゜)確かにそうかもしれないなあ・・・
まあ起業と言っても会社を興して人を雇うようなものから、個人で独立開業するようなものまでさまざまだろうけど、いずれにせよ私のようにずっと雇われの身で生きてきた人間の想像を超えた厳しさがあることは間違いないのだろうね。
とりあえず起業したら3年間は、遊ばず、休まず、眠らず、の覚悟が必要と何かで読んだ記憶があるけど、とてもじゃないが私には無理。
なにしろ「私がもし起業したら週休3日にしよう!(^^)!」なんて夢のようなことを考えているのだから、そんなのは最初から棺桶に片足突っ込んで起業するようなもの。
過激なタイトルに惹かれて、暇つぶしのつもりで買った1円のペーパーブックだが、半分も読まないうちに読むのを止めてしまった。
もし本気で起業しようとしている人や、あるいはすでに起業して頑張っている人は、この本を読む暇があったら違うところに時間とエネルギーを使った方がいいだろうね。
というよりそんな人は、そもそもこの手の本は読まないと思うし、そんな暇があったらとっくに起業しているだろう。
それほど本気じゃないけど、ちょっと起業に興味があるといった程度の凡人が、自分の考えの甘さと世の中の厳しさ、安易な起業の恐ろしさにあらためて気づくということなら、それなりに意味がある本かも知れない。
なにしろアマゾンで1円だし(-_-)
まあ、送料込みで300円しないぐらいなので、それに見合った気付きは得たということかなあ(^^;
なんだか安い気付きでどーもスミマセン<(_ _)>
自己嫌悪の夜
つい先日のこと、(長男の)愛車ジムニーJA11のプチカスタムをしていて、パーツ取り付けのため車体のフロアにドリルで穴を空けました。
スギちゃんより私の方がずっとワイルドです!
ところでスギちゃんどこに消えた(-_-)
そしてついでにプラグコードとディストリビューターキャップと、中のローターも新品に交換。
で、ターボタービンのアクチュエーターに潤滑剤を噴霧しまくったら、これでもかというほどエンジンが絶好調に吹き上がるようになりました。
と、ここまではご挨拶。
ここから本題へ・・・
「最近、随分と寒くなったなぁ・・・」と、ぼんやり過ごしていたら
最後にブログを更新してから一か月経っていました。
光陰矢の如しとはこのことか。
いや、本当は違います。
寒くなったなぁ・・・、とは思っていましたが、全然ぼんやりなんかは過ごしていません。
ぼんやりどころか、頭の血管が切れそうなくらいにシャカリキに生活していました。
そうなんです。
仕事、仕事、仕事、遊び、仕事、仕事、遊び、仕事・・・
そんな毎日で、とてもブログを書く(気持ちの)余裕などなかったのです。
「いやいや仕事が忙しいのはわかるけど、ちゃんと遊んでいるじゃないの?」
そんなツッコミもあるでしょうが、それは違います。
私はねぇ、昔から仕事でテンパればテンパるほど、無理にでも遊んでバランスを取るタイプなのです。
これがもし、遊ばなくなった時はかなりの危険信号なんですよ。
わかる?
でもね、ここんところ自分でもちょっとイカンと思い始めています。
なにがイカンかというと、いい年をして文句や愚痴を言い過ぎかなあ・・・と。
昔から私は短距離ランナータイプで、100メートルは12秒3が最高タイム。
それほど速かったわけではないけど長距離は苦手だったので、やっぱり短距離タイプなのです。
仕事も同じで、やるときはグイグイグイグイ、さらにグイグイやるんだけれど、あまり高負荷状態が続くと、ある日突然プチンと糸が切れるようにやる気が萎んでしまうんですよ。
ホント、ある日突然プチンなんだから怖いよっ(-"-)
そんでいま、ちょっとその状態に近づきつつあるんだよ。
そして今夜の話。
カウンセリングの自主学習グループ「いちごの会」の忘年会に参加してきました。
ちなみに先週は会社の忘年会で、近くの中華料理屋で飲み放題食べ放題だったんだけど、またタイミングの悪いことにいろんな事情で仕事が山のように残ってしまい、みんなが飲んで騒いで楽しんでいる途中に、15分ほど顔を出して、ウーロン茶1杯と中華飯を食べて再び仕事に戻りました。
なぜか中華飯を食べたかったんだよねー
話は戻って今夜のこと。
まあね、ボヤキまくりですよ、いろんなことをね。
そして周りはみんなカウンセラーばかりなので、ちゃんと聴いてくれるわけです。
「いい年してなに甘えたこと言ってんだっ」とは言わないんです。
みんなカウンセラーだから。
それに甘えてボヤキまくって、我ながら情けないと思って、帰ってから自己嫌悪ですわ(>_<)
さらに久しぶりのブログがこんな内容しか書けなくて、自己嫌悪を通り越して、ほとんど\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?状態かも・・・
でね、
反省しました、いろいろと。
その結果とりあえず宣言します。
私の美学として(あったのかそんなもん)あんまり宣言とかしないんだけど、今回は宣言しちゃいます。
今夜から大晦日まで毎日ブログを更新します。
「たったそれだけ?」って言うなー(# ゚Д゚)
毎日毎日あれもこれもで大変なんだよ、こっちは(-"-)
ほらね、またボヤいちゃったじゃないかっ!
とにかくクソ忙しいのにブログを書くんだから、ちゃんと読んで必ずポチっとすること!
いいね、ポチっとが重要なんだからね(-"-)
頼むよ、もう( `ー´)ノ
俺の心を青空にしてくれよ。
ちなみに今夜は一滴もお酒は飲んでおりませんので、このブログはしらふで書いております<(_ _)>
スギちゃんより私の方がずっとワイルドです!
ところでスギちゃんどこに消えた(-_-)
そしてついでにプラグコードとディストリビューターキャップと、中のローターも新品に交換。
で、ターボタービンのアクチュエーターに潤滑剤を噴霧しまくったら、これでもかというほどエンジンが絶好調に吹き上がるようになりました。
と、ここまではご挨拶。
ここから本題へ・・・
「最近、随分と寒くなったなぁ・・・」と、ぼんやり過ごしていたら
最後にブログを更新してから一か月経っていました。
光陰矢の如しとはこのことか。
いや、本当は違います。
寒くなったなぁ・・・、とは思っていましたが、全然ぼんやりなんかは過ごしていません。
ぼんやりどころか、頭の血管が切れそうなくらいにシャカリキに生活していました。
そうなんです。
仕事、仕事、仕事、遊び、仕事、仕事、遊び、仕事・・・
そんな毎日で、とてもブログを書く(気持ちの)余裕などなかったのです。
「いやいや仕事が忙しいのはわかるけど、ちゃんと遊んでいるじゃないの?」
そんなツッコミもあるでしょうが、それは違います。
私はねぇ、昔から仕事でテンパればテンパるほど、無理にでも遊んでバランスを取るタイプなのです。
これがもし、遊ばなくなった時はかなりの危険信号なんですよ。
わかる?
でもね、ここんところ自分でもちょっとイカンと思い始めています。
なにがイカンかというと、いい年をして文句や愚痴を言い過ぎかなあ・・・と。
昔から私は短距離ランナータイプで、100メートルは12秒3が最高タイム。
それほど速かったわけではないけど長距離は苦手だったので、やっぱり短距離タイプなのです。
仕事も同じで、やるときはグイグイグイグイ、さらにグイグイやるんだけれど、あまり高負荷状態が続くと、ある日突然プチンと糸が切れるようにやる気が萎んでしまうんですよ。
ホント、ある日突然プチンなんだから怖いよっ(-"-)
そんでいま、ちょっとその状態に近づきつつあるんだよ。
そして今夜の話。
カウンセリングの自主学習グループ「いちごの会」の忘年会に参加してきました。
ちなみに先週は会社の忘年会で、近くの中華料理屋で飲み放題食べ放題だったんだけど、またタイミングの悪いことにいろんな事情で仕事が山のように残ってしまい、みんなが飲んで騒いで楽しんでいる途中に、15分ほど顔を出して、ウーロン茶1杯と中華飯を食べて再び仕事に戻りました。
なぜか中華飯を食べたかったんだよねー
話は戻って今夜のこと。
まあね、ボヤキまくりですよ、いろんなことをね。
そして周りはみんなカウンセラーばかりなので、ちゃんと聴いてくれるわけです。
「いい年してなに甘えたこと言ってんだっ」とは言わないんです。
みんなカウンセラーだから。
それに甘えてボヤキまくって、我ながら情けないと思って、帰ってから自己嫌悪ですわ(>_<)
さらに久しぶりのブログがこんな内容しか書けなくて、自己嫌悪を通り越して、ほとんど\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?状態かも・・・
でね、
反省しました、いろいろと。
その結果とりあえず宣言します。
私の美学として(あったのかそんなもん)あんまり宣言とかしないんだけど、今回は宣言しちゃいます。
今夜から大晦日まで毎日ブログを更新します。
「たったそれだけ?」って言うなー(# ゚Д゚)
毎日毎日あれもこれもで大変なんだよ、こっちは(-"-)
ほらね、またボヤいちゃったじゃないかっ!
とにかくクソ忙しいのにブログを書くんだから、ちゃんと読んで必ずポチっとすること!
いいね、ポチっとが重要なんだからね(-"-)
頼むよ、もう( `ー´)ノ
俺の心を青空にしてくれよ。
ちなみに今夜は一滴もお酒は飲んでおりませんので、このブログはしらふで書いております<(_ _)>