2014年04月20日

春は学びの季節なり

5月から6月にかけて、いくつかの研修や勉強会に参加する予定です。

5月は竹内成彦先生が金山で主催する「グループカウンセリング」に申し込みました。
毎回のように参加させて頂いていますが、いつもどんなメンバーがいらっしゃるのかとても楽しみです。
私は初対面の方と会うことにあまり緊張しないタイプなのですが、このグループカウンセリングで会場のドアを開けるときは、少しだけドキドキします。
今回は参加日程を竹内先生にお任せしたので、いつもよりドキドキ感がアップしそうです。
精神分析の講義があるので、今のうちから少しだけでも予習をして臨むつもりです。

同じく5月には、岐阜市でカウンセリングルームHILL ISLANDを開設されている、岡島康治先生の講座にも参加します。
岡島先生は竹の子会の仲間でもあるので、誠実な人柄とカウンセリングにかける熱い情熱はよく知っています。
5月には3回の講座を開催されるようですが、私はそのうちの一つに参加を申し込みました。

6月には岡島先生に誘って頂いた研修会に参加させて頂く予定です。
以前から気になっていた研修会なので、初参加となりますが今からとても楽しみにしています。

竹の子会の会長をしている関係で、どうしても会の勉強会が中心となってしまいますが、今年は出来るだけ外に出て行って、広く勉強の場を求めようと思っています。
会長といってもカウンセリングの実力とは何の関係もなく、ただ古株だからという理由で役割を任されているようなものなのですが、いつも会員の皆さんに引っ張られるように勉強を続けています。


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posted by おやじカウンセラー at 20:58 | 愛知 ☔ | Comment(4) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

朝の読書と柔道の思い出

ここ最近の睡眠不足解消のため、昨夜はいつもより早めに床に入りました。
私は布団に入れば5分もかからずに寝入ってしまうので、寝付けなくて困るということはよほど精神状態が悪い時以外はありません。
逆に言えばそんな事が続くときは、心療内科に行くようにしています。
幸いここ数年はそういうこともなく、まいにちグーグー寝ています。

さて、早寝したせいもあって、今朝は5時ごろ目が覚めました。
二度寝はしないし、出来ないのでそのまま起きて朝の読書を始めました。
深夜や早朝の静かな時間は、集中できるので読書に最適なのです。

先日、竹内先生から頂いて半分ほど読み進めていた、柔道家・鈴木桂冶の「再起力」を一気に読み終えました。
ちなみに竹内先生も私も柔道経験者で黒帯です。

再起力。―人間「鈴木桂治」から何を学ぶのか [単行本] / 鈴木 桂治 (著); 創英社/三省堂書店 (刊)

鈴木選手といえば、華麗な足技で一本を取る、天才肌の柔道家という印象が強かったのですが、この本を読んでかなり彼に対する印象が変わりました。
むしろ彼と同世代の本物の天才井上康生の存在により、多くの苦悩と挫折を経験し、そこから這い上がってきた、努力の人だったのですね。

ただ彼はどのような苦難の状態にあっても、必ず自分の目標を見つけ、そのために何をしなければいけないのかを考え、そのための行動が出来るという意味では、私から見ればやはり天才です。

鈴木選手の師の一人は、国士舘大学の先輩であり当時の全日本男子監督であった斎藤仁ですが、ライバル井上選手の師は、やはり東海大学の先輩であるあの山下泰裕だったことを考えると、山下選手と斎藤選手の当時のライバル関係、日本代表をめぐっての状況などが、そのまま井上選手と鈴木選手の関係にオーバーラップするところは、非常に興味深く感じられました。
師弟同士のライバル関係ということですね。

それでも私にとっての鈴木選手は「努力が報われた幸せな男」だと思います。
もちろんそれだけの努力を正しく頑張った結果が、立派な形として残せたのでしょうが、私はどちらかといえば、思うような結果を残すことが出来なかった、棟田康幸選手が一番好きな柔道家です。

ちょっと思い出話になりますが、私が柔道を本格的にやっていたのは高校の3年間だけです。
強豪校というわけではなかったのですが、練習の厳しさと荒っぽさは相当なものでした。
入学してすぐに半ば無理やり柔道部に引っ張りこまれ、同じような新入生30数名と練習が始まったのですが、最初の1週間ほどは布団から起きられないほどの筋肉痛で、茶碗もまともに持てなかったのを覚えています。

おまけにもともとあまり出来が良い生徒が集まる学校ではなく(もちろん当時の話です)、その中でも柔道部は群を抜いて荒っぽいことで知られていて(入部してから知りました(=_=))、一人でも朝練をサボると授業の合間に呼び出しがかかり、古ぼけた道場で(独立した古い柔道場がありました)先輩から恫喝され、ビンタをされる毎日。
まるで当時の漫画「嗚呼!!花の応援団」のような世界でした。
おまけに普段の練習は監督やコーチではなく、いつも先輩が取り仕切って行っており、1年生は徹底的に昔ながらの基礎体力運動の繰り返しで、うさぎ跳びを延々と続けるのを先輩が竹刀を持って追いかけるような、時代錯誤も甚だしいものでした。

そんなめちゃくちゃな練習と、3年生とは目も合わせられないような上下関係に耐えられず、部活をやめるものが続出し、1ヶ月後には30数名の1年生が僅か5人ということになってしまいました。
やめた部員の中には中学時代に県のチャンピオンだったものもいたのですが(彼は入部してすぐの団体戦に出場し我が高を優勝に導きました)そうした柔道経験者は全員やめてしまい(そう簡単には辞められるわけもありませんが、さしさわりがあるので詳しくは書けません(^_^;))残った5人は素人ばかりになってしまいました。
そしてどういうわけか、まともなスポーツ経験のない私もその一人として残ったのです。

まあ、当時の思い出は数知れず、私にとっては地獄のような日々が始まったのですが、とにかく練習だけは嫌というほどやらされたおかげで、そこそこ身体も大きかった私は(今よりずっとスリムでしたが)、ぐんぐんと実力を付けていきました。

柔道の昇段には、昇段試験に出向いて試合をし、勝ち点を重ねていかなくてはいけないのですが、1級(茶帯)は全勝、初段、弐段も勝率は軽く8割は超えていたと思います。
5戦して全部一本勝ちということもありましたし、実業団の選手ぐらいにしか負けた記憶はありません。
といっても、弐段の勝ち点は早々と取ったものの、正式な昇段に必要な型と学科の試験を受けないまま卒業して柔道から離れてしまったため、結果的に私の段位は初段ということになっています。
卒業の際には某実業団から声をかけて頂いたのですが、当時は全くその気がなくお断りしました。
今思えば弐段ぐらいはきちんと取っておけばよかったと思いますが、実はそれから随分と時が経って40代の半ばになってから、改めて弐段の昇段試験に挑戦したことがあります。
まあ、その話はまた機会があれば書きたいと思います。

さて、そんなそこそこは強かったと言える私ですが、結局は素人がろくな理論も技術も教えられることなく、ただただ厳しい練習だけで身に付けた柔道なので、所詮はたかが知れたレベルでした。
高校時代の試合結果で残せたのは、西三河高校選手権での3位入賞が最高で、県レベルでは全く歯が経ちませんでした。
もっときちんとした指導者の下で練習が出来ていれば、もう少し違った結果も残せたのかなぁ、と思うこともあります。
名古屋の大会でインターハイの予選に出場した時は、1学年下のとんでもなく強い選手とあたり、開始早々に投げ飛ばされて終わりでした。
その試合の相手は、その年のインターハイで全国優勝を遂げ、その後大学に進んでアマチュア相撲に転向し、数々の学生タイトルをひっさげて鳴り物入りで大相撲に入り、関脇まで昇進しました。
相撲界を引退後は改めて大学院に入り直し、現在は某大学の教授をしているようですが、もちろん大昔の柔道の試合で投げ飛ばした私のことなど、頭の片隅どころか脳味噌の皺の間にも残っているはずはないでしょう(-_-)

そんな辛くも楽しい?私の柔道少年だった頃の思い出ですが、根性も体力もなかった私がそんな厳しい練習の日々に耐えられたのは、当時の私が持っていた負のエネルギーを柔道に打ち込むことで転換できたからかも知れません。
当時はいろんな事情から、もうどうにでもなれというか、かなり投げやりなヤケクソ状態になっていて、柔道だけが自分の存在を証明できるものだったのでしょう。
もし柔道に打ち込んでいなければ、もっともっとろくでもないことになっていたと思います。
実際、部活の帰りに学生服のまま、駅の売店でビールを飲みながらおでんをつつくような、高校生にあるまじき行為もしておりましたし(^_^;)

早起きの読書の話題が、わけのわからない思い出話に脱線してしまいましたが、お許しください<(_ _)>

今日は曇り空の静かな休日になりました。
無理してバイクや自転車で出かけずに、喫茶店でのんびりとお茶を飲んで雑誌でも読んでこようと思います。
そして今夜も、早く寝よう・・・(^.^)

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posted by おやじカウンセラー at 11:39 | 愛知 ☁ | Comment(0) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする