2009年12月28日

捨てられない症候群

明日の29日も仕事のおやじカウンセラーです(+_+)
さすがに少々疲れ気味です…(゜゜)〜

さて、先日の日曜日、自分の部屋の片づけをしました。
小さな部屋に机と座椅子、本棚が二架(本棚は一本、もしくは一架と数えるのです)あとはパソコンとプリンターがあるだけなので、片づけも楽なのですが、それでも随分と要らないものが溜まっていました。

一番多いのが、あちこちから送られてきた紙媒体のモノなどです。
あとはネットで調べ物をした時にプリントアウトした様々な資料や雑誌などでしょうか。
いつかじっくり読もうと思っていたり、これは暫くとっておこうと思っていたものが、一年もすると相当な量になってしまうのです。

こんな時に私は、結構思い切りよく処分してしまいます。
だいたい半年以上も目を通さない資料や文書類など、捨ててしまっても後悔する事はないだろうし、必要になればその時に調べればなんとかなるものです。
捨ててはいけないものは、パソコン関係の資料がほんの少しあるぐらいのものでしょう。
2時間ほどかけて、いらないモノの処分と部屋の掃除を終了しました。

2ヶ月ぐらい前にも、家族のいらなくなった服を処分したのですが、八つのゴミ袋が満杯になりました。
いつか着ようと思っていた服や(だいたい痩せたら着ようと思っている服がほとんどですが、簡単には昔の体形に戻らないことにようやく気付きました(^^)v)、買ってはみたものの気に入らずに着なくなった服、子供が大きくなって着なくなった服、そこそこ高かったので捨てるのが惜しい服、そんな衣類が衣装ケースやクローゼットに溢れていたので、思い切りよく処分してしまったのです。

私の場合は、いらないモノを処分する(捨てる)ことに殆ど抵抗を感じないのですが、世の中には「どうしてもモノを捨てることが出来ない人」が少なくないようです。

まわりから見るとガラクタにしか思えないモノ、例えば着られなくなった服や靴、お菓子の空き箱、ギフトの包み紙、壊れかかった家電類、何年も使っていないスタッドレスタイヤ、雑誌類、様々なもらいもの、はたまた賞味期限の切れた食品まで…、あらゆるモノがどうしても捨てられないのです。

こうした人のことを「捨てられない症候群」と呼ぶこともあります。
もちろん正式な病名ではありませんし、捨てられなくても本人や家族が困っていなければ別に悪い事ではありません。
しかし、こういう人が家族のなかにいると、なかなか家の中が片付かないということは間違いありません。

高齢者で物が無い時代に生まれ育った方は「捨てる=罪悪」「保管=美徳」みたいな精神構造である場合が珍しくないので、なんでもとりあえず取っておくという人は少なくありません。
また、年齢に関係なく「いつか読むかも、使うかも、役に立つかも…」と思って捨てられない人や「必要と思って手に入れたものを、どのタイミングでいらないモノ(捨てるモノ)にするのかの判断がつかない」から捨てられない人もいるでしょう。

モノを捨てるのにあまり抵抗が無い私ですが、決して使い捨てが好きなわけではありません。
むしろ家族の中ではモノを大切にする方かもしれませんし、使えるものは手入れをしながら、壊れても修理し長く使い続けることも多いです。

いらなくなったモノ(本人はいらないモノとは思っていないのでしょうが…)を捨てられない人がいるように、過去の思いが心の中にたくさんありすぎて、ずっと引きずっている人も、ある意味では「捨てられない症候群」なのかも知れません。

もう必要でなくなった「過去の思い」を捨てて、未来に向けての自分を生きて行きたいという思いが、必要でないと感じたモノを躊躇なく捨てさせるのかもしれません。
自分のことを考えると、そんな気もします。

明後日から連休に入るので、今年こそ大掃除をしようと思っています。
過去の思い出に浸るより、これから新しい思い出をつくって生きてゆきたいと思うおやじカウンセラーでした。
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posted by おやじカウンセラー at 22:02 | 🌁 | Comment(0) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

断食と牛丼

先週末に丸2日間の断食(絶食)をしました。

その間は水とお茶の他には野菜ジュースを1本飲んだだけで何も食べませんでした。
なぜ、断食したのかというと…
う〜ん…(?_?)ただ何となくでしょうか…(+_+)

これからお正月休みに入ると、毎日のようにご馳走を食べることになるでしょうし、いつもお腹がいっぱいの状態で次の食事をとるような生活が続くことを思うと、その前に身体をスッキリさせておきたいという気持ちもありました。

実際に2日間の断食をしてみて「お腹がすいてどうしようもなかった」ということはありませんでした。
もちろん、空腹感はあったのですが、普通に仕事をしていましたし体調にも特に変化はありませんでした。
ただ、体重は2日間で4kgも減りました。

あのまま10日ぐらい続けたら10kgぐらい減量できたかもしれませんが、さすがに普通の生活をしながらでは無理なので、2日後にはおかゆを食べて徐々に普通の食生活に戻しました。

断食は古来から多くの宗教で修行の一形態として行われていたようですが、最近ではファスティングといって医療手段を目的とする断食(断食療法)も行われています。
小川直也が柔道家から格闘家(プロレスラー)に転向した際には、アントニオ猪木の勧めで、とある断食療法を行うお寺で体質改善を兼ねた大幅なダイエットを行ったといわれています。

本当は私のように自己流で断食をするのは、健康面を考えるとあまり良くはないのでしょうが、個人的にはまたやってみたいと思っています。
※決して断食を他人に勧めるつもりはありません。特に普段から食が細い人や、摂食障害の経験がある人、瘠せた体形の人は危険を伴うことがあるようなので、むやみに行わない方がいいです。

断食が終わってから、無性に吉野家の牛丼が食べたくって仕方ありませんでした。
そこで今日は妻にメールをして、夕食は家族で吉野家に行きました。
牛丼を食べたのは3カ月ぶりぐらいでしょうか(^.^)

断食で減った体重はほとんど元に戻ってしまいましたが、身体は幾分すっきりしたようです。(家族は何も変わりが無いといっていますが)
なにより、食べる事のありがたみを改めて感じる事の出来た、私のプチ断食でした。
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posted by おやじカウンセラー at 19:30 | 🌁 | Comment(2) | くだらない話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

五平餅と柚子湯

年の瀬も近づき、寒さに震えながら(本当は皮下脂肪のおかげ?であんまり寒くはないです)頑張って仕事をしています。

今日(昨日)は五平餅を焼きました。
遊びなどではなく、社長直々に依頼されたちゃんとした仕事です。
まぁ、普段から色々な仕事をしているのですが、五平餅を焼いたのは私も初めてです。

五平餅(ごへいもち)とは木曽・伊那地方から岐阜、東海・三河・南信濃(いわゆる三遠南信地方)に伝わる郷土食で、潰したご飯を串焼きにして、軽く焦げ目がつくまで焼いたものに味噌や醤油と砂糖をベースにしたタレをつけて仕上げた食べ物です。
江戸時代中期にに米が貴重であった時代、ハレの食べ物として祭りや祝いの場で捧げられ、食べられたのが始まりと言われています。

だんだん焼けてきました.JPG 味噌だれと醤油だれ.JPG 

焼きあがった五平餅を試食してみましたが、なかなか美味しくできていました(^^)v
味噌味と醤味味の2種類をつくったのですが、初めて食べた醤油ダレの五平餅もなかなか美味しかったです。
もっとも、ただ食べるだけが目的ではないので、ちゃんと次回への課題も把握しておきました。(ということはまたやるの…?)

さて、これで仕事が終わるのであればそんな楽なことはないのですが、五平餅を食べて給料がもらえるわけはないので、その後は普段の仕事に戻りました。
しかも、今日は突発の仕事がたくさん入り、結局8時過ぎまで残業となりました。

くたびれて家に帰ると、我が家のお風呂には柚子が浮かんでいました。
毎年冬至には、妻の実家にある柚子の木からたくさんの実をもらって柚子湯にするのです。

のんびり柚子の香りのするお湯に浸かりながら目を瞑っていると、そのまま眠ってしまいそうになりました。

あと1週間ほど仕事があるのですが、何事もなく無事に一年が終わればいいなぁ….。o○

そんな思いのおやじカウンセラーでした。

エゴグラムについてのブログは、近日中に落ち着いてゆっくり書きたいと思います。
では…夜
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posted by おやじカウンセラー at 01:08 | 🌁 | Comment(1) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月20日

初雪

昨日は、私の住む愛知県も初雪が降りました。雪

それほど積もったわけではありませんが、それでも雪は雪。
西三河地方はあまり雪が降らないので、何だか嬉しい気分で外の景色を眺めていました。
雪国の人にとっては、嬉しいなんて言っていられないのでしょうが、私はいまだに雪が積もると意味もなく外を歩き回ってしまいます。

我が家の息子達が小さかった頃は、毎年一度ぐらいはそれなりに積もることがあったので、近くの公園でソリ遊びをした思い出がありますが、ここ最近は温暖化の影響なのか、それほど雪が降らなくなったように思います。
独身の頃、冬になると毎週のようにスキーに行っていた頃が懐かしいですね。
ちょうどバブル景気の真っ最中で、猫も杓子もって感じで四輪駆動車にスキー板を乗っけて、あちこちのスキー場に通っていました。
もう7〜8年はご無沙汰なので、今やったら転んで骨折間違いなしですたらーっ(汗)

昨日の雪はたいして積もることもなく、すぐに溶けてしまったのですが、今朝登ってきた村積山には少しばかりの雪が残っていました。

雪と植物.JPG 雪.JPG

ふと思い立って友人のハナキくんを誘い 、早朝からの里山歩きです。
今朝は地元住民の人たちが、山道わきの枯れ枝や落ち葉などを掃除する日だったようで、珍しくたくさんの人と挨拶を交わしながらの山歩きとなりました。
ここのところ運動不足で身体が重く感じていましたが、のんびりと2時間ほども歩いたおかげで心も体もスッキリしました。

もう1週間ほどで年末年始の連休になりますが、今週も仕事が最後の追い込みで忙しくなりそうです。
楽しい連休が迎えられるよう、頑張りたいと思います。
皆さんも、風邪やインフルエンザに気をつけて下さいね。

次回のブログは、エゴグラムについて、少しお話したいと思っています。

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posted by おやじカウンセラー at 20:16 | 🌁 | Comment(2) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月19日

映画『2012』を観ました

☆ネタバレありです ご注意ください!☆

「インデペンデンス・デイ」や「デイ・アフター・トゥモロー」などの監督である、ローランド・エメリッヒの最新作『2012』を観てきました。


これまでの作品で、宇宙人(UFO)の襲来や、突然の氷河期突入?といったパニック大作を撮ってきた監督ですが、今回もまたまた人類を滅亡の危機に陥れちゃってます(-。-)y-゜゜゜

マグニチュード10以上の大地震や、地球内部のマグマが至る所で噴出して大噴火!最後には高さ1500mもの大津波で大陸のほとんどが水没…って、「監督〜、ちょっとやりすぎでしょ(^_^;)」

しかし、さすがに金かけてるだけあって相当な迫力であることは間違いないです(ほとんどCGですが)。
迫力ありすぎて、観終わった後はぐったりしてしまいました(結構長い映画だしね)。

こんなド迫力な映画でも、描かれているのは人類愛だったり家族愛だったりするのも、いつものお約束ってとこですね。

それにしてもこの手の映画に出てくる人達は、やたらと「パパはおまえを愛してるよ〜」とか「あなた愛してるわ〜」とか叫びまくりですねぇ(^^)
アメリカ人て普段からやっぱり「愛してるよ、愛してるわ」とかって言ってるんでしょうね。

まぁ、主人公だけはメチャメチャ危険な状態でも絶対に危機一髪で助かったりして(しかも何度も何度も…)、突っ込みどころ満載の映画ですが、気がつくと思わずウルウル(*_*;していたりして、娯楽映画としてはなかなかの出来なのではないでしょうか。
こういう映画はやはりハリウッドならではですね(^.^)お金のかけ方が違いますもん。

ところで、ふと思ったのですが、感情表現が豊かなアメリカ人のカウンセリングって、やっぱり日本のカウンセリングとはずいぶん雰囲気が違うのでしょうかねぇ…?
アメリカはカウンセリング先進国だと思うのですが、実際はどんなものなのかちょっと気になりますね。
「オーマイガーッ」とか言っちゃってるのかなぁ…

あんまり話が脱線しすぎないうちに、終わりにします
                   (^。^)y-.。o○
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posted by おやじカウンセラー at 00:11 | 🌁 | Comment(0) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月18日

「自分を好きになること」パートU

先日のブログの続きです。
今回は「自分を好きになる方法」について書いてみたいと思います。

「自分が好きになれない」のは別に悪いことではありませんが、「自分が好き」な人よりも悩み事を抱えやすかったり、その解決にたくさんのエネルギーが必要なため、いつも心が疲れている場合が少なくありません。
またそういう人は、本当は泣きたい気持ちや、怒りが爆発しそうな時でも、他人には笑顔で接してしまったりするので、独りになるとそのことを思い出しては、悲しさや情けなさや(自分に対する)怒りでいっぱいになってしまい、さらにそんな自分のことが嫌いになってしまいます。
「自分が嫌い」な人は、人生は辛くて苦しいことばかり、と感じているのかもしれません。

実は「自分を好きになる方法」をブログに書こうと思って、書物やインターネットで調べてみたのですが、簡単にたくさんの答えを見つけることができました。

例えば…
★できたことは自分でほめる。
★自分のいいところを探す。
★自分がやりたいことをやるようにする。
★目標を持ち、努力し、実現する。

他にもいくつかありますが、もっと分かりやすく具体的な方法もちょっと調べればたくさん見つけることができます。
「自分を好きになる方法」を知ることはそれほど難しい事ではないようなので、わざわざここで書くことはやめておきます。
ただ、それではこのテーマをブログに書いた意味がなくなってしまうので、私の経験も含めて、いくつか思いついたことを書いておこうと思います。

「少しだけ自分を好きになる」ために…
☆少しづつしか好きになれないことが多いので、あきらめずに努力し続けること(ダイエットと同じです)。
☆他人に気を使ったり、親切にしていることを自分にもしてあげること。
☆他人に迷惑をかけない限り、自分の好きな事をするように心がけること。
☆スポーツや身体を動かすことで、自分の身体を感じるようにすること(何も考えない時間も大切です)
☆過去や現在の自分から新しい自分に変わるきっかけとして、カウンセリングを受けてみる(初めてカウンセリングを受けることは勇気がいるものですが、それを行動に移すだけでも自信につながります)。
☆知識や理屈だけでは何も変わらないことを自覚すること(ほんの少しでもいいので行動することです)。

う〜ん…(?_?)
なんだか参考にならないことばかりのようですが、100人に1人ぐらいは「役に立った」と言ってくれるかも…(そんなにブログの読者はいないです(^_^;))

まぁ、グダグダの内容になってしまいましたが、それはそれでしかたないですね(^。^)y-.。o○
「自分を大嫌い」でも「自分を大好き」でも「その対象になるのは同じ自分」なわけですから、どちらもほとんど勘違いの塊みたいなものかもしれません。
どうせなら「幸せになる勘違い」をしたいものです。

最後に一言
適度に「自分が嫌い」な人は、控えめで努力家の方が多い気がします。
また、適度に「自分が好き」な人は、明るくて何事にも前向きな人が多いと感じます。
逆に、極端に「大好き・大嫌い」な人はあんまり近づきたくない方が多いですよね(^_^;)
勘違いもほどほどがいいということでしょうか…

このブログを読み返していたら、だんだん「自分が嫌い」になってきたので「保存する」をクリックして寝てしまいましょう(-。-)y-゜゜゜
では眠い(睡眠)

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posted by おやじカウンセラー at 00:44 | 🌁 | Comment(0) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月15日

竹の子会の忘年会

先週からの風邪っ気が抜けず、体調が今一つです(+_+)
最近は土曜日もずっと仕事が続いていたので、疲れが溜まっていたのかもしれません…。
若い頃はいくらでも無理がきいていたのですが、半世紀近く生きてくると普段の体調管理が本当に大切になってきます。
とりあえず今年の健康診断も「異常無し」だったのですが、どう考えても「運動不足と太りすぎ」なのは間違いないので、来年からは本格的に運動を始めようと思っています(どうなることやら)

ところで12月13日(日)は、竹の子会の定例会の後、竹内先生を囲んで忘年会を行いました。
お昼の食事会だったのでアルコールは控えめに(私は飲みませんでした)食事をしながらの懇親会となりました。
完熟梅ジュース.JPG

竹内先生の発案で、参加された13名の会員の皆さんが自己紹介(新しい会員さんも多いので)を兼ねた「私のプチ自慢」を発表しました。
以外?な経歴の持ち主やビックリするような特技、趣味をお持ちの方もいらっしゃって、お互いを知る良い機会になりました。

私も自分の「プチ自慢」を話したのですが、ほとんどシャレのようなものです(話した後で「プチ後悔」でした…(^_^;))。
実際のところ、何も自慢できるようなこともなく、しいて言えば家族と仲が良いことぐらいが自慢かもしれないですね。

竹の子会の皆さんとは、それなりの長いお付き合いなのですが、会長さん以外とは殆ど普段のお付き合いはありません(人妻の方が多いので…(^^))。
しかし、皆さん優しくて暖かい人ばかりなので、こうしてたまにゆっくりお話ができることはとても楽しみです。

数年前までは、年末になると毎週のように何かの忘年会に参加していたのですが、ここ最近は誘われても断ることが多くなり、とうとう今年はこの日の食事会が唯一の忘年会になってしまいました。
まぁ、お酒もあまり好きではなくなったし、歳とともに義理のお付き合いを避けるようになったので別に寂しくはありません。
竹の子会の忘年会で、今年一年の締めくくりができて本当に良かったと思っています。

竹内先生と竹の子会の皆さん、今年一年お世話になりました_(._.)_
来年も楽しくお付き合いしていただきますよう、よろしくお願いします(^o^)/
竹の子会の皆さんA.JPG 竹の子会の皆さん.JPG


あっ!そうそう…
この日は定例会の自主学習で、先輩会員のiさんがリーダーとなり「自分を知ろう」というテーマでワークをしていただいたのですが、内容はもちろんのこと、iさんのファシリテートが素晴らしくお上手で感心いたしました。
1時間足らずの短い時間でしたが「自己洞察」の良い勉強になり、もっと時間があればじっくりやっていただけたのに、と残念に思うほどでした。

竹の子会では、このような自主学習を毎月行っています。
竹内先生の「カウンセリング基礎講座」の卒業生の方で、竹の子会の活動に興味がある方は、遠慮なくスタッフに声をかけて下さい。
体験入会も受け付けております。

★この日は「カウンセリング中級講座」が行われ、いつものように開始のご挨拶をさせていただきました。
意味もなく無精ヒゲを伸ばしていたのですが、その後の忘年会でのスナップ写真を見て、あまりの「小汚いおやじ姿」に愕然とした次第です(さっそくヒゲを剃りました)
来年はもう少し爽やかな姿でご挨拶できるよう努力いたします(たぶん無理だと思いますが…)_(._.)_

では、お休みなさい夜 
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posted by おやじカウンセラー at 01:10 | 🌁 | Comment(0) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月09日

「自分を好きになること] パートT

「あなたは自分のことが好きですか?それとも嫌いですか?」

「そんなの好きに決まってるじゃん!!」という方は、ここから先は読む必要が無いので、好きなテレビでも観ながら楽しい時間を過ごして下さい。

「自分が嫌い」、「あまり好きじゃない」、「よく分からない」という方は、この先をぜひ読んでいただきたいと思います。

先日参加した竹内先生のグループカウンセリングで、「自分を好きということ」が話題になりました。

「自分のことが好きではない」、「昔は好きではなかった」、「自分のことが大好き」…

自分に対する気持ちは人それぞれのようです。
さらには「好きじゃないといけないの?」という疑問もありますよね。

良いか悪いかについては、私自身は人を好きになったり嫌いになったりすることに良い悪いはないと思っています。
例え親が子を、あるいは子が親を嫌いだったとしてもです。
ですから、自分自身を好きじゃなくてはいけない、ということもないと思っています。

とは言うものの、家族のように自分に近しい人を嫌いでいることは、何よりも本人が苦しむことが多いのは事実でしょう。
ましてや自分自身を嫌いでいることは、本人にとって辛く悲しいことである場合がほとんどではないでしょうか。

わが子を愛せない親、親を憎んでしまう子供、そして自分を嫌ってしまう自分自身…。
自分を好きになれないことは決して悪い事ではないけれど、そのことで生き辛さを感じてしまうのであれば、少しでも好きになった方が良いのでは…と思います。

自分を好きになれない人には、いくつかの共通点があるようです。

@ 人(の良いところ)と比較して、自分(の良くないところ)はダメだと思ってしまう。  
A 自分の理想像をもの凄く高く設定して、現実の自分と比べて責めてしまう。
B 良くて当り前、悪いところが一つでもあれば全部ダメ、のような完全主義で自分を評価してしまう。
C 過去の失敗や上手くいかなかったことが頭から離れず、いつも後悔している。
D 自分の欠点や人より劣っている部分がある限り、私は誰にも好かれないと確信していて、そんな自分が大嫌いと思っている。

どうでしょうか、ご自身に当てはまるところはあったでしょうか?

自分のことが好きではないと感じている人は、他人に好かれることで自分が価値ある存在であることを確認したいと感じています。
しかし、いくら他人が「あなたは素敵」「あなたは頭が良い」「あなたは優しい」「あなたはカッコいい」「あなたは素晴らしい」と言ってくれても、自分では自分のことが嫌いで嫌いで仕方が無いので、いつになっても安心する事が出来ません。
だから永遠に人から好かれるための「自分」を演じ続け、へとへとに疲れきって毎日の生活を送っているのです。

私はかつて自分のことが好きではありませんでした。
自分のダメなところを直そうと色々頑張ってみましたが、なかなか好きにはなれませんでした。
しかし、今は「嫌いなところもあるけど基本的にはまあまあ好き」になっています。
大好きではありませんが「まあまあ好き」になっただけでも随分と安心して生きていくことができるものです。
実感としてそう感じています。

カウンセラーは「自分が嫌いなこと」を自分できちんと理解していないと、そのことがカウンセリングに悪影響を与えてしまいます。
「自分を嫌いなこと」がいけないのではなくて「そのことにきちんと気付いていないこと」がいけないのです。
ここのところは間違えないようにしなければいけません。

グループカウンセリングでこの話題が出た時に、竹内先生から宿題をもらいました。
それは「自分を好きになる方法」です。

「自分を好きになる方法はいくつかありますが、クライエントによって教える方法やアドバイスのタイミングを使い分けています」
「方法については皆さんそれぞれで勉強してみて下さい」
竹内先生はその場で「自分を好きになる方法」をおっしゃいませんでした。

すぐに教えてもらえると思っていたので少し残念に思ったのですが、よくよく考えてみれば、たぶん答えを頂いても「なるほど、そうなんだぁ…」と感心するだけで終わってしまい、自分の学びになることはなかったでしょう。
あれからずっと「自分を好きになること」が気になって頭の隅から離れずに、いろいろ調べたり考えたりしているので、こうしてこんなブログを書いているのです。
教え上手な人というのは、知識を与えるテクニック以上に、教えられる側が自ら進んで学ぶようにしていくものです。
私はかつて学習塾の塾頭をしていましたが、教え上手な先生は「教え過ぎない先生」ばかりでした。(塾頭は塾の管理責任者ですが先生ではないです)

さて、話を戻しますが「自分が好きになれない人」がもっとも知りたいこと、「どうすれば自分を好きになれるのか」については次回のブログで書こうと思っています。

実はまだここで書くにはちょっと勉強不足なのですが、何とか頑張って自分なりに学んだことを紹介したいと思っています。
今日はとりあえず「自分を好きになれなくっても、それはそれでいいじゃん(^.^)」ということが言いたかった…のかな(?_?)

ご飯は二人前ですが、カウンセラーとしては半人前の、おやじカウンセラーでした
(^。^)y-.。o○




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posted by おやじカウンセラー at 21:53 | 🌁 | Comment(4) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月08日

悲しい時は悲しい歌を…

普段はほとんど音楽に縁が無い生活をしている私です。
車の運転中も、ラジオやCDを聴くことはまずありません。
もちろんカラオケに行くこともありませんし(5年くらいはご無沙汰です)楽器も何一つ弾けないです。
ですから、音楽や楽器演奏が趣味の人にもの凄く憧れてしまいます。

そんな私ですは、最近は暇な時に動画サイトのYouTubeで、ギターのソロ演奏や、ちょっと古い歌(昔の歌謡曲やフォークソングなどです)を聴いたりするようになりました。

ヘッドホンで音楽を聴いていると「あぁ、ギターが弾けるようになりたいなぁ…」とか「歌うことが好きな人は楽しいだろうなぁ…」などと考えてしまいます。
私は音痴ではないのですが(自分ではそう思っています(^_^;))人前で歌うのはもちろん、ひとりで歌を口ずさむこともどうにも恥かしいのです。
上手い下手に関係なく、情感たっぷりに歌える人が羨ましいです。

ところで、音楽や歌が心に与える影響ってすごく大きいと思うのですが、皆さんは悲しい時にはどんな音楽を聴くのでしょうか?

私は最近この曲を聴いていると、とても気分が落ち着くので毎日のように聞いています。


誰がカバーしているのか分かりませんが、同じ曲でこちらも聴いてみて下さい。


「悲しみ」という心情を歌った曲ではあるけれど、この曲を聴くことでしみじみと自分の悲しい気持ちに浸れるような…、そんな感じがして心が落ち着くのかもしれません。

この「悲しくてやりきれない」を歌ったザ・フォーク・クルセダーズの主要メンバーであり、解散後も音楽シーンで活躍した加藤和彦さんは、今年の10月に亡くなられました。
患っていた鬱病が原因の自殺と言われています。

「悲しい気持ち」は人の感情として当然あるべきもので、決してマイナスの感情だとは思いません。
しかし鬱病による「精神的な苦痛」はもはや通常の感情とはかけ離れたものなのです。

加藤和彦さんがきちんとした鬱病治療を受けていれば、まだまだ素晴らしい曲をつくり続けていたのかもしれません。
そのこと思うと本当に残念ですが、加藤和彦さんが作った素晴らしい曲は、これからもずっと残ってゆくのだと思います。

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posted by おやじカウンセラー at 00:33 | 🌁 | Comment(2) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月07日

名古屋港に行きました

今日は心の相談室with竹内成彦先生が主催する「グループカウンセリング」に参加するため、朝から名鉄電車に乗って、会場である名古屋港ポートビルに行ってきました。

少し早めに到着したので、快晴の下、会場付近をぶらぶらと歩きながら、ブログ用の写真を撮ったりしながらのんびりと過ごしました。

名古屋港ポートビル.JPG 南極観測船?.JPG 
 
金の鯱鉾.JPG 水平線.JPG 

本日のグループカウンセリングは、竹内先生を含めた7名が参加して行われました。
このグループカウンセリングは、一応のカリキュラムはあるものの、参加者それぞれが持ち寄ったテーマで進めてゆくため、いつも違う雰囲気、違う学びが得られるところがとても面白いのです。

一言で言えば、参加者自身が作り上げる、自由な勉強会ということですが、こういったスタイルが成り立つのは、優れたファシリテーター(もちろん竹内先生のことです)があってこそなのは言うまでもありません。

カウンセリングを学ぶためには、実技の勉強が必要不可欠であることは、誰もが知っていることだと思います。
しかし、一般に行われている傾聴訓練やロールプレイの場合、技法の習得やセオリーの枠内での学びに終始せざるを得ないような気がします(←上手く表現できませんが…)

もっとも、現実のカウンセリングを訓練の場で完全に再現する事は不可能なことなので、そのために技法や理論などで一般化する事によって、より簡単(といっても簡単ではありませんが)に学べるようにしているわけなのです。
そして、それはそれでカウンセリングを身につけるためには、とても大切な事なのです。

ただ、そのあたりをある程度理解したうえで、現実のカウンセリングを学ぶためには、このグループカウンセリングはとても有効な勉強方法なのでは、と感じています。

数名の観察者に囲まれ、指導者の厳しい眼差しを意識しながら行う、ロールプレイに代表される傾聴訓練の独特な雰囲気は、確かに「これぞ実技の訓練」という感じがして、私は嫌いではありません(むしろあの緊張感は大好きです(^.^))

しかし竹内先生のグループカウンセリングでは、日常会話の延長のような穏やかな雰囲気のなかで、少しづつゆっくりと場を作りながら、徐々に相手の気持ちを感じ取り、そして自らの気持ちを伝えるような、まさに普通のコミニュケーションの延長でありながら、気がつくときちんとカウンセリングとして成り立っているとでも言うのでしょうか…。

う〜ん…、勉強不足で上手く表現できません(^_^;)

つまりこういうことです↓
「はい、私カウンセラー、あなたクライアントです」
「今からカウンセリングやりますよ、準備いいですか?」
「じゃあ始めます、今日の相談は何?」

と、何となくカウンセリングってこんなふうに始まると思い込んでいるところがあるのですが、実際はちょっと違うんだろうなぁ…、ってことです。
そのあたりを学べるのが、竹内先生のグループカウンセリングだと思って参加しているのです。

これまで、産業カウンセリング協会などで学んできたものを、より実践で使えるようにするために、臨床の場を持たない私は色々と試行錯誤しながら、自分なりに頑張っているというところでしょうか。
実際は楽しいから参加しているんですけどね(^。^)y-.。o○

今日は、私を含めて豊田市からの参加者が4名、あとは金沢茨城から来られた方がいらっしゃいました←凄いです!頭が下がります。

カウンセリングの勉強会に参加するといつも「みんな一生懸命に頑張っているなぁ…」、「俺も少しづつでもあきらめずに前に進みたいなぁ…」と感じます。

「クライアント自身が気づいていないその人の素晴らしさ」…、それに気付いて伝えてあげられるのがカウンセラーなのかも知れない…。

ふと、そんなことを思った今日のおやじカウンセラーでした。

今日のグループカウンセリングで出会った参加者の皆さん、それぞれの場所でそれぞれの生活をして、それぞれの苦しみや悩みがあると思います、でも見上げる夜空や青空はお互いきっと同じですよ(^_-)-☆

また機会があればお目にかかりましょう(^^)/

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posted by おやじカウンセラー at 00:23 | 🌁 | Comment(4) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月05日

「障害者」表現変えます 

12月3日のニュースです。

「≪障害者≫という言葉にマイナスのイメージがあるとして、大阪府吹田市が市の文書などに新しい言葉を使う方針を打ち出し、波紋が広がっている。」

実際に吹田市では≪障害者≫に代わる、新しい名称を公募しているそうですが、障害者福祉の関連団体や有識者などから、この提案に対して賛否両論の意見が寄せられているそうです。

確かに最近では、各都道府県や地方自治体によっては「害」の文字をひらがなの「がい」に置き換えて≪障がい者≫と表現しているところも多く、少しでもマイナスのイメージを変えようという動きがあるようです。

しかし、かつて≪精神分裂病≫が、その差別や偏見を解消する目的で≪統合失調症≫へと名称変更をした経緯がありますが、結果的に効果があったかというとはなはだ疑問だと言わざるを得ないのです。
確かにこういう話題が取り上げられることにより、障害者問題を考えるきっかけにはなると思うのですが、行政が取り組むべきことはもっと他にあるような気がするのです。

今から2年ほど前のことになりますが、精神障害者の社会復帰支援施設でボランティア活動をしていた時期がありました。
ちなみに≪障害者≫とは『身体障害、知的障害又は精神障害があるため、長期にわたり日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける者』と定義されています。

当時の私は月に1〜2度その施設に出向き、当事者(精神障害者)や職員の方たちと一緒に、食事会に参加させていただいていました。
自分たちでレシピを考え、決められた予算内で買い物に行き、調理をして一緒に昼食を食べるのです。
チーズフォンデュやカツカレー、ちらし寿司などいろんな料理を作って食べました。
料理好きの私にはとても面白く、ボランティアというより、ただ楽しく美味しいものを食べに通っていたようなものでした。

ある時「こんなことがボランティアとして、当事者の援助になっているのでしょうか…?」という疑問を、そこの施設長さんに聞いてみたことがあります。

私の問いかけに、施設長さんはこのように答えてくれました。

《何かをしてあげる事》」だけがボランティアではなく《してもらう事》も立派なボランティアなのですよ」
さらに、
「当事者の方達は、一般の人よりもうんと限られた人間関係の中で生活している方が多いのです。障害を理解したうえで、あたり前に接してもらうことが彼(彼女)らにとって、必要なことなのです」

障害者支援といっても行政が行うような援助ばかりでなく、個人としての援助の仕方があるという事を教えてもらったように思います。

行政とは、本来は人間よって運営されているものですが、組織として活動を始めたとたん、その姿が見えなくなってくる場合が少なくありません。
企業や学校といった組織も同じです。

障害者支援の根本は「同じ血の通う人間として接する姿勢」にあるのだと私は理解しています。
そしてそれは、障害者に限らず同じ社会で暮らす全ての人達に言える事だと思います。
我々にとって生き辛い社会が、障害者にとって生きやすいわけではないのですから。

「楽しんでこそボランティアですよ」

施設長さんに言われた言葉を思い出し、また食事会に参加したいと思っている、おやじカウンセラーでした。
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posted by おやじカウンセラー at 07:19 | 🌁 | Comment(1) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トヨタの森

1週間ほど前のことになりますが、竹の子会のS会長と「トヨタの森」を歩きました。

里山歩きが趣味なのですが、最近はずっと岡崎市の村積山に登ってばかりで、さすがの私も少々飽きてしまいました。
そこで西三河周辺の別の里山を開拓してみようと思い、その第一弾として手始めに「トヨタの森」を歩いてみたのです。

ここは山というよりも文字通り「森のなかの自然道」といった散策路なのですが、季節の紅葉も楽しめてなかなか楽しい里山歩きとなりました。

Sさん.JPG ザックとストック.JPG

紅葉.JPG 空を見上げて.JPG

この「トヨタの森」の山歩きの顛末については、ご一緒したS会長がご自身のブログ→http://cocoronodiary.jugem.jp/?eid=117に詳しい記事を書いておられますので、ぜひご覧になって下さい。
★私は面倒なので細かいことは書かずに済ませます(^^)v

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posted by おやじカウンセラー at 00:09 | 🌁 | Comment(0) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月02日

誰にでも「いい顔」をしてしまう人

最近私がお風呂で読んでいる本です。


だれにでも「いい顔」をしてしまう人 嫌われたくない症候群 (PHP新書)

だれにでも「いい顔」をしてしまう人 嫌われたくない症候群 (PHP新書)

  • 作者: 加藤 諦三
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2007/04/17
  • メディア: 新書



う〜ん…なんともわかりやすいタイトルである。
他人に嫌われたくないがために自分に無理を押しつけて、挙句の果てに対人関係に疲れ果ててしまう人は珍しくないだろう。

「他人によく思われることが生きる条件になっていると、いつか必ず人生に行き詰まることになる」

確かにその通りだろう。
すべての人に好かれる(嫌われない)などということは不可能に決まっているのだが、その出来もしないことをするためにいつも「いい顔」をしてしまうのだ。
結果として自分を殺し続けることになるのだが、それでもみんなに好かれるようには生きられないし、自分に無理を強いるほどに人に対する憎しみばかりが膨れ上がってくるのだ。

しかし、そういう生き方をしている人は、何も好き好んでそうしているわけではない。
自分が本当にしたいことや言いたいことを実行したら、必ず他人に嫌われると確信を持つように生きてきたのだ。
事実、幼い頃にそういう仕打ちを何度も受けたのかもしれない。

私自身、かつては人に嫌われることを非常に恐れていた。
そのために自分の人生が何なのか?自分のやりたいことは何なのか?
何も分からないまま、ただその時に周囲にいる人たちに嫌われないように生きてきた気がする。

もっとも、これは今思えばそうだったという話であって、当時はただただ慢性的な生き辛さと、このままではいつか行き詰ることになる、という漠然とした焦りがあるだけだったように思う。

ではどうすればそんな生き方から解放されて、本当の自分の人生を歩めるようになるのだろうか。
その答え(或いはヒント)はこの本に書いてあるのだが、一つ言えることは「人に嫌われたからといってそれがどうした」ということである。

所詮、自分以外の人間はみんな他人なのだ。
好かれることもあれば嫌われることもあるのが当たり前のことなのだ。

常に他人に合わせて行動しないと、いつかとんでもないことになると思い込んでいるのは、誰かが自分の都合であなたに教え込んだまやかしなのではないか。
そのことを良く思い起こして考えてみることである。

見えない恐怖に縛られていると、その束縛から解放されるのは簡単な事ではないだろう。
しかし、恐ろしさに震えながらも自分の生きたい人生を歩む覚悟を決めた時、自分が恐れていたものが何も実態の無いばかげたものであることに気付くのだと思う。

私はその呪縛から逃れるために長い時間をかけて遠回りをしながら、本当に苦労してきた。
「いい顔」をすることが何も自分の幸せに繋がらないことに気付くまで相当に辛い思いもしたように感じている。。
もし、あの苦しんでいた頃に私の苦しみを理解して、見えない出口を指さしてくれる人がいればどんなに良かったことかと、今でもそう思うのだ。

この本のタイトルを見て「私の事かも…」と感じた人は、ぜひ読んでもらいたい本である。

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posted by おやじカウンセラー at 00:42 | 🌁 | Comment(2) | カウンセリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月01日

アウトボクサーとインファイター

昨日(既に一昨日ですが…)の亀田興毅選手と内藤大助選手のWBCフライ級タイトルマッチは「因縁の対決」だったこともあり、歴代ボクシング中継の中でもトップクラスの数字を記録したそうです。
それにしても新チャンピオンになった亀田興毅選手のボクシングには感心しました。

もともと良くも悪くもイケイケの亀田ファミリーのなかで、長男の興毅選手はかなり意識的にあのキャラクターを演じていたような感があったのだが、例の亀田家バッシングの後は、本来の彼が持つ真面目さや誠実さが少しづつ表に出てきたような気がしている。
もっともこれは、父である史郎氏がトレーナー資格を剥奪されて公の場での影響力が小さくなったことや、年齢的にも親離れしてきたことの表れかもしれない。

さて、そこで昨日の試合なのだが、亀田興毅選手はやはり典型的なアウトボクサーだったと再認識した。
つまり足(フットワーク)を使って相手との距離を取りながらしっかりガードを固め、ジャブを多用して相手を踏みこませずに、隙があればパンチを繰り出したりカウンターを狙うスタイルこそが彼が目指すスタイルなのだ。
これに対して内藤選手は接近戦で足を止めての打ち合いを得意とする典型的なインファイターなのだ。
時折見せる変則的な動きもリスクを背負ってでも相手にパンチを当てるためのものなのだろう。
逆に言えば、一発でKOできるパンチを持つ内藤選手と、そこまでの強打力を持たない興毅選手ともいえる。
そして結果的に、終始自分のスタイルで試合を進めることのできた亀田興毅選手が勝利をもぎ取ったのが昨日の試合だったのです。

亀田家のあのイケイケキャラクターは父親の影響が強いのだろうが、テレビ局もキャラが濃いほうが視聴率につながる為あえてそれを前面に出していたこともあるのだろう。
しかし興毅選手は小学生のときから(父親の自己流指導とはいえ)ボクシングを学び、同時に学んでいた空手では、大会で何度も優勝したほどの腕前なのだから、打撃格闘技の基礎はかなりしっかりしているのだ。
試合後に放送されたドキュメンタリー番組で彼はこう言っていた。
「3ラウンドKO宣言はリップサービスだ、12ラウンドをフルに闘ってポイントを取る」「出入りをしっかりやれば内藤のパンチはもらわない」と。
やはり興毅選手は自分のことも、自分がやるべきことも良くわかっている、非常にクレバー(賢い、利口)なボクサーなのだ。
対する内藤選手は20歳でボクシングを始め、32歳の時に3度目の世界タイトル戦でチャンピオンになった遅咲きの選手である。
彼自身もボクシングセンスに恵まれているとは思っていないだろう。
彼の才能はあきらめず努力し続ける能力なのだ。
そんな彼の選んだスタイルがいわゆる肉を切らせて骨を絶つというものであるのは、簡単に言ってしまえばそれしかないからである。
試合後の内藤選手の無残に晴れ上がった顔は、インファイトスタイルのボクサーの宿命のようなものである。

それにしてもプロボクサーとは、つくづく因果な商売だと思わずにはいられない。
たった一度の勝ち負けで人生が大きく変わってしまうのだ。
同じプロの格闘技でも、ここまで一戦の持つ意味が大きいものは他にはないように思う。
興毅選手も内藤選手も、リング以外の場での話題があれこれ取りざたされることが多かったようだが、このあたりはボクシングをビジネスとして考えているテレビ局やマスコミの都合なのだろう。
命がけで闘った二人には過去の遺恨などというものより他にもっと大きな戦いの意味があったのではないかと思っている。
そして改めて見事な勝ち様負け様を見せてくれた二人に、心から拍手を送りたいと思った。

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posted by おやじカウンセラー at 00:36 | 🌁 | Comment(0) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする