2009年05月17日

雨の朝の散歩

無題@.JPG 無題A.JPG


昨日も仕事だったので休日は今日一日だけ。
休みが一日だと色々と忙しいのだ。
気分転換に身体を動かしたり、用事を済ませたり、のんびり休養したり…いい気分(温泉)
何かと欲張りなので、結局朝早くから活動することになる。
今朝も7時から、物好きな仲間二人と待ち合わせて雨の中を散歩に出かけた。

大した距離を歩くわけではないので運動にもならないが、それでも気分転換には十分だ。
学問の神様で有名な岩津天神に立ち寄ってから、近くの真福寺に足を延ばした。
作務衣のようなものを着た男性とすれ違って会釈をされたが、僧侶だったのだろうか…。

本堂に手を合わせ、気が向くままにおみくじを引くと「小吉」であった。
静かに物事を見つめよ と書いてある。
さらに、願い事 思いのままです とある。

少し早起きをして雨ニモマケズに散歩をしたので、仏様だか神様だかがご褒美をくれたのだろう。

これまで雨の休日は散歩をあきらめ、残念な思いをしていたのだが、こんないい事があるのなら、少しばかり雨に濡れても全然平気だ。

今度、私の体に合うカッパを通販で探してみようと思った。

無題C.JPG 無題B.JPG

にほんブログ村
posted by おやじカウンセラー at 13:09 | 🌁 | Comment(0) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

納棺夫日記を読んで


納棺夫日記 (文春文庫)

納棺夫日記 (文春文庫)

  • 作者: 青木 新門
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: 文庫




久しぶりに立ち寄った本屋で、「納棺夫日記」の文庫本を買ってきた。
本の帯には、「映画おくりびと誕生の原点」とある。
映画の「おくりびと」は観に行くことなく上映も終わり、レンタルショップに新作DVDとして並んでいる今も観ていないのだが、他に目ぼしい本がなかったこともあり購入したのだ。

私は本を読むのは遅い方ではないのだが、途中で飛ばし読みをしたり、読み直したりで、結局3日がかりで読み終えた。

実際に日記と呼べるようなものは、全体の3分の1足らずで、残りのほとんどが、「第3章 ひかりといのち」と題した、作者の死生観とも言うような、哲学的、宗教的な色合いの強い内容になっており、そのあたりは全くの素人の私には、かなり難解なものだった。
しかし、作者が本当に書きたかったのは、やはりこの「ひかりといのち」の部分だったのであろう。
これなくして、納棺夫としての体験談ばかりを面白おかしく書いてみても、下世話な興味をそそるばかりの三文小説と変わりがないのだ。

とは言え、やはり私のあまり出来が良くない頭では、どこまで作者の云わんとするものが理解できたのだろうか…。

ただ、自分なりに感じたことがある。
それは、生きることと死ぬことは一つなのだということである。
生きていれば必ず死は訪れるし、死ぬにはそれまで生きていなければならないのだ。
この当然当たり前のことを、あえて片方だけ(生だけ)見て、より良く生きようなどと必死になっても、例えて言えば、片目をつむって片足で歩くようなもので、同じところを堂々巡りして全く前に進めないのは至極当然のことである。
やはり、前に進むには、ちゃんと両目を開けて、両足で歩かなくてはいけないのだ。
そのことに気付き、つむっていた片目をあけて、二つの目で生と死を正面から見つめた時、初めて明るい光のもとで、いつか必ず訪れるに向かって生きていけるのだと思う。

重い病で死を宣告された人も、とりあえず元気に生きている人も、向かう先は同じであるのに、なぜかそこに気付いていない、と言うより気付こうとしないのだ。

「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた」
これは文中にある、病により死を目前とした正岡子規の言葉である。

病にあっても、そうでなくても、日々生きていくうえで、いつか当たり前に訪れる死を素直に当たり前にものとして見つめる事が出来れば、今の自分がどれほど大切で尊い一瞬を生きているのかが実感できるのだろう。
そしてそれには、作者が言うように、生死を概念として理解するのではなく、「今を一生懸命に生きる」という行動によってしか実感し得ないのだとすれば、現在の私が常に不安を自ら追い求めているような気がしてならないのも頷ける。

ではこれから自分はどうすればよいのか?どう生きていけばよいのか?
まずは、固く閉じた片方の目を少しづつ開けてみよう。
何が見えるのか…。
これまで怖くて開けられなかったのだが、見ないようにしていても、そこにある何ものかが消えてなくなるわけではない事は、ずっと前から分かっていたのだ。
この「納棺夫日記」がそのことを改めて教えてくれたような気がする。

明日(もう今日になったが)もきっと雨模様だが歩きに行こう。
そしてこの前自転車で立ち寄ったお寺に行ってみようと思う。

晴れの日も、曇りの日も、そして雨の日も、いつも歩いていけたらいいなぁ…

にほんブログ村
posted by おやじカウンセラー at 01:48 | 🌁 | Comment(1) | 日々の徒然日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする